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この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

『エル・グレコ展』から80年代回想。

来年早々に『エル・グレコ展』が東京にも巡回してくるので、まちなかのあちこちでポスターやチラシを見かけるようになった。

 

これが今回のチラシを開いたところ。

かなり豪華なラインナップ。

れを見ていたらふと、今では会うことが叶わなくなってしまった、昔の友人の事を思い出した。

 

日本で前回エル・グレコの回顧展を開催したのは1986年だったが、その時は残念ながら見に行けなかった。

しかし、展覧会が終わってかなり経ってから、その友人の家に遊びに行ったら、尋常ではない束のエル・グレコ展のチラシを所有していたので、ビックリしてしまった。

彼女は確か、展覧会会場等から大量に持って帰って来たと言っていた。

それまでわたしは、大好きなミュージシャンでもない限り、いくら思い入れのある画家でも、むか~しに物故されてしまった方に対しては、そこまでの愛情を注ぐ事はなかった。

“歴史上の人物”として、どこかで自分の中に一線を引いていたのかもしれない。

でも、彼女のこの行動を見て、その、勝手に引いていた境界線のようなものを、自分はそれ以降、取っ払ったのであった。

 

その中から1枚いただいたチラシ。

裏はこんな感じ。

 

彼女は絵を描くのが得意で、やはりエル・グレコ風な人物像等を描いていた。

他にも、ピアノは弾けたし、綺麗な声で歌ってたし、文章も何の苦もなくこなせたし、とにかく、才能に溢れていた。

あとは、オスカー・ワイルドが大好きだった。

 

しかし、彼女はモリシーの事はチェックしていなかったんだよな。

アイルランドに憧れていたせいなのか、U2が大好きだった。

80年代半ばのUK音楽好きはだいたい、キュアー派、エコバニ派、U2派、デペッシュ派とか、ファンの役割分担はこの辺のバンドに集約されていたのかな。いや、もっとバラエティに富んでいたか。好きなバンドや曲は被る事もあったけど。わたしはスミスが大好きだったから、モリシー派のポジションだったのか。(謎)

70年代半ばならキッス、クイーン、エアロスミスに相当する感じか?

 

スミスは熱心にわたしが勧めたので、彼女も興味は抱くようになった。

スミスの海賊ヴィデオを彼女の自宅に持参して見せまくり、モリシーのくねくねダンスに2人して、「なんじゃこりゃーっ!?」と笑いながら見た事もあった。

でも、その程度の興味に留まっていたようだ。

多分、彼女からするとモリシーのワイルド好きはあまりにもストレートに見えたのだろう。

この頃、あくまでも自分の周りの閉じられた世界の中ではあったけど、モロにファンだと伝わってしまう言動はださいという風潮があった。

他のファンの人に悟られないように、ちょっとヒネってお気に入りの人のファッションや言動を取り入れたりする方がクールだった。

 

彼女の方から熱心に勧められて、すっかりお気に入りのバンドになったのがR.E.M.だった。

彼女、早稲田の学祭にやって来たR.E.M.の公演を見に行ってるんだよな。

わたしは行けなかったから、すごく彼女のことが羨ましかった。

ライヴ写真も撮っていて、その写真もすごく良かった。そう、写真もいっぱい撮っていたひとだった。

今になって、当時の写真を見せて貰いたいとまで思い始めている。

当時のマイケル・スタイプみたく、ジャケットでも何でもヨレヨレ、クタクタにして着るというスタイルにも影響されていて、彼女もよく真似をしていた。わたしもこのスタイルには大いに影響を受けた。いまだに引きずっているところがある。

これがいわゆる後の“グランジ”に繋がるのか。

 

ピアノといえば、わたしが彼女のピアノを演奏する姿は一度しか見たことがなかったんだけど、演奏した場所は何と東大の校舎内であった。

その頃彼女は東大の実験助手のバイトをしていたので、勝手知ったるといった様子で、関係者に何の許可も貰わず、ロビーみたいな場所で打ち捨てられているようなピアノを見つけると、おもむろに弾き出した。

音は周囲に筒抜けだし、中の人に何か言われやしないかドキドキだったのだが、何もお咎めなしだった。

あの時彼女は何の曲を弾いてたんだっけ?残念ながら全然覚えていない。

 

あと彼女について思い出した事といえば、鳥が大好きで、家ではセキセイインコを飼っていた。自分もインコになりきったつもりで、インコとよく会話していた。

それから、本格的なインドカレーを作るのが得意で、何度かご馳走になった。

 

もともと神経が繊細なひとで、情緒不安定になる事が度々あったのだが、90年代に入った頃から薬物依存が強まり、結果的には命を落としてしまった。

だから、彼女との交流は80年代の終わりと共に完結してしまったのだ。一緒に聴いたのはアナログのレコード。それとカセットテープ。ビデオはVHS。レーザーディスク、CDは一切登場しなかった。

わたしが80年代後半の事を思い出そうとすると、彼女の存在を思い出さずにはいられない。

だから、今まではその時代をあんまり思い出さないようにしていた。

でも、エル・グレコの新しいチラシに触れた事で、スッと自然に蘇ってきた。

今まで本当に忘れていた事もあったので、忘備録として脈絡もなく書き綴ってみました。あと1回ぐらい続けて書こうと思っています。今回はこれで終わり。