この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

商業誌に掲載されたレヴューなどについての雑文。

(※6/27 ちょっと書き加えました。)
モリシーが来日公演を終えて日本を去っていってから一ヶ月以上経つのだが、いまだに自宅に溜め込んでいるモリシー関連の過去記事を読み返す日々が続いている。中にはすっかり忘却の彼方だったものもあったりで、改めて自分の偏執的な収集癖に辟易しているところだ。
いや、そうではなく、当時知り合ったファン仲間の情報収集能力がすごかったおかげで、これだけ集めることが出来たのだ。


来日前は正直、ここまで自分の熱が復活するとは思ってもいなかった。実は近年は音楽を聴く事すら苦痛だったのです。

今回の来日公演についてのレヴュー


新聞という大衆メディア記事なのに、なんで東日本大震災支援のメッセージを込めて、仙台からツアーをはじめたという事を書かなかったのか理解に苦しむ。
91年の初来日公演の時の新聞記事を見返していたら、確か日経新聞だったんじゃないかと思うんだけど(うっかりメモし忘れた)、その記事の出だしはこうだった。せめて、このぐらい気の利いた事を書いて欲しかったのだが…。

夏の終わりに、八〇年代の英国を代表する二人の人物が来日した。マーガレット・サッチャー。そして、モリッシーである。

昔のレヴューを読み返してみて思ったこと

新聞ほどではないにしろ、一般の商業誌にあっても、ライヴ評の場合は、熱狂的で全面肯定的で冷静さを欠き偏りまくった文章を載せるのは出来るだけ避けるのだな。と、改めて思ったのが、同じく91年初来日の時の、今井智子氏によるライヴ評。シティロード誌に掲載されたもの。
「LIVING LEGENDの現在形」というタイトルが掲げられている。
なんと、モリシーの武道館ライヴの前日は、トム・ヴァーレインの単独ライヴがあったのですな。
この人との比較で語っているのだが、前半部分のトム・ヴァーレイン評によると、本編ではずっとソロ作を演奏していたけれども、アンコールではお客さんからの執拗なマーキー・ムーン・コールに根負けしたのか、「マーキー・ムーン」からの曲をさらりと、まるで終わってしまったものを仕方なく演奏した風、だったのだそうだ。今井氏はそんな書き方をしていた。


対するモリシー公演については、途中からだけど、本文を引用してみます。

伝説のバンドを背負った悲哀をトムに感じた翌日は、さらに伝説うずまくモリッシー武道館。(中略)
花を手にモリッシーを見るということが、充分にイヴェント性を持っていたわけだが、スタンド席の手すりから落ちそうになりながらモリッシー・コールしてた男の子や、最後にステージに駆け上がった子にとっては、美しい青春の1ページとなったことだろう。スミス世代ではない私は、何の思い入れもなく彼のステージを楽しんだが、私ぐらいの世代にとってのルー・リードみたいなものだろうか。
ザ・スミスに限らず、リアルタイムで体験してなくても、今は簡単に追体験できる。むしろリアルタイムでないだけに、幻想は拡大され伝説化する。そしてそれを背負ったアーティストは生きながらにして伝説となる。もしもモリッシーが10年後、今回のトム・ヴァーレインのようにひとりで来日したら、ファンは何を執拗にリクエストするのだろう。


初来日当時のセットリストではスミスの曲を完全に封印していたのだが、徐々にかれは、スミスの曲を歌うようになっていった。
確かに今回の来日公演でもスミスの曲を求めていた人は多かっただろう。しかし、その想いを商業誌にぶちまける人が現れるとは思わなかった。いや、その記事はさらっと読んだだけなので、ちゃんとはコメントできないのですが。


自分の場合、ライヴ体験後はむしろ、スミスよりもモリシーの曲を多く聴くようになっている。近年無視していた時間を穴埋めするかのように。


しかし、白状するけど、音楽を積極的に聴かなくなってしまった状況だったのにもかかわらず、数年前にわたしも1度だけ、とある商業誌にモリシーのアルバム・レヴューを書いたことがあるのだ。スミス、モリシーのアルバム評を発表してみたいという長年の夢が叶って満足してしまったせいなのか、おそろしいことに、書いたことすらも忘れていた。しかも書いたのは「LIVE AT EARLS COURT」。ってライヴ盤じゃん!

ライヴ・アット・アールズ・コート

ライヴ・アット・アールズ・コート


今回のライヴを体験した直後は、あの当時どんなことを書いたのか、怖くてずっと読み返せないでいた。ライヴから1ヶ月以上を経過して、ようやっとおそるおそる読んでみた。自分でも忘れていた、ネットから拾い集めたデータをばらまいて、字数を埋めていた。それでも書き漏らしてしまった情報があって、非常に恥ずかしいシロモノだった。けど、最後の締めのところで、我ながら苦笑するしかないんだけど、ぐっと来てしまった。これからもしぶとくずっと歌い続けてほしいと書いてあった。なんだ、冷静さを保って書こうと意識していた事しか、書いた当時の心境は思い出せなかったんだけど、違ってたんだ。ただの応援メッセージだった。批評にすらなっていなかった…。


今井氏のレヴューを読み返してみて思ったのは、あの当時はまだ、将来も当時と同じような平和が続くと、どこかで思っていたのかもなということ。
まさか初来日から20年以上を経て、スミス、モリシーの歌が、新たなメッセージをを我々に向けて放ってくるようになるとは、予想だにしなかった。
震災後に、わざわざ新しい歌を用意しなくたって、かれらの曲は、どんな状況にも対応する、ものすごい力を既に持っていたのだ。
そんな事を、今回の来日公演で気付かされたのであった。