この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

ラウリーについて

そうか、現時点でのテート・ブリテンは、ラファエル前派の主要作品は巡回展のために海外へ貸出中だし、ターナー作品はもうすぐ日本にやって来ちゃうから、この辺の作品を目当てに行く人にとっては、かなり物足りない展示内容になっているんだろうな。
ていうか、もしかして改装中なのか?


そんなテート・ブリテンが誇るスタア級作品不在のさなかに、あえてどんよりとした英国北西部の工業地帯を延々と描いたラウリーの回顧展を開催するとは、さすがエゲレス。器がでかい。(何?)


L.S.ラウリー(1887-1976)はマンチェスター生まれの画家。
画家に専念したのは定年退職後で、それまでは、日中は不動産会社で地代集金人として働き、夜間に絵を描くという生活を送る。
生涯の大半をマンチェスター郊外で過ごし、地元の風景や、そこに暮らす人々を生涯描き続けた。
絵が世に出たのは中年を過ぎてから。偶然、ロンドンのある画商が、彼の絵に目を留めたのだ。
この、有名になるまではあまりにローカルな画題で描いていた事と、いわゆる芸術家とはかけ離れた地味な人生を送っていたために、ラウリーは日曜画家のイメージで語られていた。
描かれた人物像などは、一見漫画っぽくも見えるので、美術のジャンルも『素朴派』にカテゴライズされる事が多い。
でも、違うのだ。彼は正規の美術教育を受けているし、何よりも、実際に作品を目の当たりにすると、そのこってりとしたマチエールに驚かされる。力の入り具合が半端じゃないのだ。


ラウリーの絵を観るようになってから随分と長い時間が経つのだが、未だにこの画家の魅力をどう説明したらいいのかが分からない。
と、思いあぐねているうちに、なんと日本の新聞でもラウリーの回顧展が取り上げられた。


この記事を読んで、今回の回顧展が開催された経緯を知った。
関連記事はこれだな。


ラウリーの絵は時が止まっている。絵の中にいる人々の服装は1920~30年代のスタイルでほぼ固まっている。
ラウリーの暮らしは、生涯外国に行く事もなく、テレビも電話も車も持たずじまいだった。
つまり、彼が生まれたヴィクトリア朝時代の生活を、20世紀後半までずっと続けていたのだ。


LS Lowry 1957 - YouTube

ここでアトリエの様子を見る事が出来る。
どうやらラジオは持ってたみたい。
壁には、それぞれバラバラな時を刻むアンティーク時計。そして、自身の作品と共にラファエル前派の画家であるロセッティの作品が飾られている。
「ロセッティの描く女性は現実の女性ではない。かれらは夢の中に生きている。」
と、かつてラウリーは言った。
彼自身も、夢の世界に身を投じているようだ。


とは言っても、1950年代頃から、ラウリーの描く肖像画に登場する女性は、グッとモダンに描かれている。
評伝等を見ると、この頃からキュートな若い女性達との交流が始まっているのだ。
写真を見る限りでは、彼女達はスミスのレコジャケに採用されそうなルックスをしている。
極めつけは、知り合った当時は15歳だったキャロル・アンという女性。
彼女とは特別な交流があったようだ。
でも、これはラウリーがエロ爺だったというよりむしろ、彼が夢の国の住人であったという所に彼女も共感していたのではないかなと思った。


死後、ラウリーのアトリエから発見された、アウトサイダー・アートを思わせる危な絵も、彼女との交流の中で生み出されたようだ。
身に纏った衣装に拘束される少女。それは女の子の中に潜む、邪悪な心を代弁したかのような絵だ。
これを見ていると、ラウリー自身の心の中も女の子だったのではと思ってしまう。


でも、ノエル・ギャラガーに言わせると、ラウリーのどん底時代の、眼を真っ赤にした自画像なんて、アル中にしか見えん!という事になる。
実生活では、ラウリーは酒もタバコも嗜まなかったようなんだけどね。
きっと、彼は絵の中で思う存分ラリってたんじゃないかな。
女の子になったり、酒を飲んで暴れたりしながら。
面白い爺さんだよ。まったく。


ヴィクトリア朝時代に生まれたラウリーが、第二次世界大戦後に育った若者と心を通わせていたというのが興味深い。
ラウリーが強い影響を受けたであろう世紀末の時代に更に興味が及んだ所でちょうど、世紀末英国美術をテーマにした面白いレクチャーを受けることが出来たので、そのうちその話題も取り上げてみます。



LS Lowry: a new exhibition - YouTube
現地のラウリー回顧展のもよう。(Channel4)