この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

ある編集者のユートピア 小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校

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ある編集者のユートピア | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM

最初この展覧会の情報を目にした時は、会場を思わず二度見してしまった。

せ、世田谷美術館? 世田谷文学館じゃなくて?と。

 

小野二郎(1929-1982)は、晶文社を立ち上げた編集者、英文学教授。そして、ウィリアム・モリス研究の第一人者として知られている。が、本人は自らを研究者ではなく、ウィリアム・モリス主義者と名乗っていた。

 

サブタイトルには『小野二郎ウィリアム・モリス晶文社、高山建築学校』というキーワードが並ぶ。

ウィリアム・モリス繋がりではあるものの、ラファエル前派の軌跡展とは、ひと味もふた味も違う趣。


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入口付近は撮影可能。

 

通常、美術館には絵画等、美術的価値の高そうな品々が展示されているのだが、この展覧会では先ず、小野二郎宅に飾られていたと思われる、格調高いものから民芸品の類までの雑多な英国土産が展示されていた。小野二郎のお宅に招かれたかのような雰囲気。ウィリアム・モリスが住んでいたレッド・ハウスを訪れた時に撮影された写真も見ることが出来る。

 

展示室には、小野二郎の奥様でもある小野悦子の仕事も紹介されていて、著書等が並んでいたのだが、ここに何とローレンス・スティーブン・ラウリーの作品が架けられていた。

そうか!世田谷美術館といえばラウリーじゃないか!

小野悦子さんはラウリーの絵がお気に入りだった。

この美術館でまたラウリーの絵を見る事が出来て、嬉しかった。

 

この展示を見て初めて知ったのだが、今から40年以上前、ラウリーの展覧会を日本で開催する計画が持ち上がっていたらしい。

その時何故実現しなかったのだろう?

未だに日本では、本格的なラウリー展が一度も開催されていない。中国に先を越されてしまった。


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小野悦子さんの翻訳本。ラウリーの絵が表紙に使われている。


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何故か“ラオリー”表記になっている。

 

と、小野二郎の業績を知るために見に行ったのに、ラウリーとか、晶文社のコーナーでは植草甚一のコラージュに目が行ったりとか、高山建築学校の映像も面白かったし…と、興味関心があちこちに拡散していって収拾がつかなくなる、不思議な展覧会だった。


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高山建築学校の『モリス・テーブル』。

これも撮影可能だった。

 

この感想文は1ヶ月近くも前に書き始めていたのに、ちっとも前に進まず、結局こんな中途半端な感想になってしまった。それにしても、52歳で亡くなってしまったとは…。早すぎるよ小野二郎さん。