この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

ラウリー展と、彼に影響を与えた画家。(2)

ラウリーに影響を与えた画家。もう一人は直接彼に絵を教えた人です。

ピエール・アドルフ・ヴァレット (1876-1942)

フランスの印象派の画家なのですが、渡英後マンチェスターに仕事を得て移り住み、ラウリーが通う事になる『Manchester School of Art』で教鞭をとりはじめます。
ヴァレットの描く街頭風景画にラウリーは大いに触発され、彼も同様のテーマを描くようになりました。

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York Street Leading to Charles Street, Manchester (1913)

私はこのくすんだ町にやって来たアドルフ・ヴァレット以上に影響を受けた人物がちょっと思い浮かばない。全てのフランス印象派の画家達、パリで起きている全ての物事と照らしあわせても。
Wikipediaより

と、ラウリーはヴァレットについてこう述べている。


ヴァレットの絵は、19世紀に撮影されたピクトリアリスムの写真を、そのまま、また絵画に置き換えたような印象だ。
大気は煙っていて、たとえそれが工場の排気によるものであったとしても、絵の中の世界は幻想的で美しい。
マンチェスターをこんなに美しく描いた画家がいたのだ。
これは、彼が「マンチェスターの外国人」という立ち位置だったから、こう描けたのかもしれないし、また、描いている対象がミドルクラス中心だったのは、ヴァレット自身がそうであったからかもしれない。


ラウリーはワーキングクラスを中心に描いていたが、元々はアッパークラス居住地の住民だった。
一家の生活が苦しくなり、そこからワーキングクラスのエリアに移り住んできたという経緯があったせいか、彼の描くその地域の絵や、工業地帯の絵などは、対象を遠くから眺めているように描いている。
この視線も、ラウリーはヴァレットから学んだのかもしれない。


ヴァレットの抒情豊かな絵は、ラウリーの、一見マンガちっくでありながら、風景や人物をリアリズムの眼で捉えた絵とは違い、一般の人達にも受け入れやすいのではないか。
日本でも、何かのきっかけで彼の絵が紹介されたら、パーッと知名度が広がりそうな気もする。
でも、インフラの老朽化や、国内工業の衰退が課題となっている現在の日本で見るべきなのは、ラウリーの絵の方だと思うが。


ラウリー展では他に、カミーユ・ピサロやモーリス・ユトリロの絵が参考展示されているようですが、音声ガイドにはこれらの絵は含まれていないし、今のところどの絵が出品されているのか判明してないので、このテーマはここでおしまいにします。
ラウリーについてはもう1回改めて書きます。



The Chameleons - Home Is Where The Heart Is ...

こんな動画を見つけた。か、カメレオンズだーっ!