この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

パスキン展 ― 生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 ―


パスキン展 −生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子− | 汐留ミュージアム | Panasonic

 
現在ジュール・パスキン(1885-1930)の、日本では16年ぶりになる回顧展が、パナソニック汐留ミュージアムで開催されている。
 
パスキンというと、パサパサッとした淡い色使いで、線がハッキリしない女性ヌードの絵を描くイメージが思い浮かぶ。
去年見に行った『こども展』にも作品が出品されてたっけ。
自分の中では、馴染みはあるけど、よく知ってるとまではいかない画家の一人だった。
先日、このパスキン展のweb内覧会&アート トークで画家の人生を詳しく伺う機会に恵まれました。
 
パスキンは、エコール・ド・パリを代表する画家の一人。20世紀初頭は世界各地から芸術家を目指してパリにやって来る若者が後を絶たなかったが、その中で何故パスキンが煽り文句にあるように『貴公子』たり得たのかというのを、パナソニック汐留ミュージアム学芸員の宮内真理子さんと、ブログ『弐代目・青い日記帳』を主宰するTakさんの2人をお招きして、いろいろなパスキンのエピソードを織り交ぜながら分かりやすく解説してくれました。
 
※画像は美術館より特別の許可を頂いています。
 
下積み時代無しの画歴
 パスキンはユダヤブルガリア人の裕福な商家に生まれた。
中等教育は当時流行りだったウィーンの寄宿学校で学び、その後は、当時から好きだった絵の道に進む為に、絵の学校で学んだ。
その頃から娼館に出入りしていた為、親からは勘当状態になり、家を飛び出す。
有名になっても、本名のピンカスを名乗らせて貰えなかった。
パスキンは、ピンカスのアナグラムだったのだ。
 
20世紀初頭は、ミュンヘンが最先端の芸術都市だったようで、パスキンはそこで美術を学ぶ。
ミュンヘンでは風刺雑誌の『ジンプリツィシムス』に寄稿し、そこで認められて専属契約を結ぶ。
何でも、クレーもこの雑誌に投稿してたけど、掲載を断られたらしい。
この時点でパスキンはまだ19歳!
 
20歳になったパスキンは、パリに移り住む。
初めての土地で孤独に過ごすのかと思いきや、カフェ『ドミエ』に集う芸術家集団に温かく迎え入れられる。かれらの中にはジンプリツィシムスの寄稿者であるジョージ・グロスもいた。
写真を見るとハンサムだし、女性にも持てたし、リア充だから男性陣には妬まれてなかったんだろうか?と思ったんだけど、収入も安定していた彼は、仲間への面倒見が良かったらしく、皆から愛されていた。
この頃には、後に伴侶となるエルミーユと出会う。そして、後に不倫相手となる、絵のモデルをしていたリュシーとも出会う。
 
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、戦火を逃れる為にアメリカに渡る。
アメリカでは、前年に開催されたアーモリー・ショウに出品して評価を得ていた事で、やっぱりお金には困らないw
アメリカでは国籍も取得する。但し、ニューヨークの寒い気候には耐えられず、その間はキューバに移動する。キューバで明るい色彩に目覚める。
 
1920年にパリに戻ると、本格的な油絵を描く画家として活動する。
平和が戻ったこの時代は好景気に沸いた、いわゆる狂乱の時代。パスキンも夜な夜なパーティーを開いて仲間と大騒ぎしていたようだ。
しかし流浪の画家でもある彼は、この時代も様々な国に旅をする。ヨーロッパ各国、アメリカにとどまらず、チュニジアなどアフリカ大陸にも。
この時代は交通手段が発達していったから、彼だけでなくだれでも、エネルギッシュに旅していたんだよな。
 
しかしこの頃から、リュシーとの関係、アルコール中毒による鬱に悩まされる。そして、画廊との専属契約という、本来ならば名誉な事も、本人は自由の足かせと受け止めたらしく、結局はアトリエで自殺してしまう。
自殺した1930年というのは大恐慌直後で、色んな意味で停滞してしまった時期ではなかったか。そう考えると、いい時代を過ごして終わりにしてしまった彼は、潔いと言えるかもしれない。
葬儀の日は、パリ中の画廊が閉館し、弔意を表したそうだ。
 
と、経歴をかいつまんで書いてみましたが、説明を聞くだけでお腹いっぱいになりました。そして、それを踏まえて作品や関連資料を見ると、ドラマティックな映画を一本見たような気分になりました。すごい。
 
1920年代の空気

展示室は時代や地域による区分けがされているが、やはり、1920-30年代の油彩画による女性達を描いた作品を展示した最後の部屋が印象に残る。

『真珠母色』と言われた、独特の皮膚の色で描かれた女性達は、これだけ曖昧な輪郭線で描かれているのに、しっかり存在していたというリアリティがこもっている。でも、どこか朦朧として夢うつつだ。パスキンは常時、すぐ近くにいて手も届くのに、どこか別の世界に身を置いている存在として、彼女達を見ていたのではないか。

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この空間は、パスキンの自宅をイメージして作られたそうで、こんな照明も設置されていた。

パナソニックの方のお話だと、『美光色』という、肌を美しく照らす特殊な照明が使われているそうで、その効果もあって、こんな感想を抱いたのかも。

 

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この部屋にはカタログ・レゾネが4冊展示されていて、閲覧可能。但し、白手袋着用が義務付けられている。

 
パスキンには女性の絵しかないのか?と思われる方がもしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、ちゃんと男性も描いています。男性の絵の方が親しみやすい風貌をしているかも。
あと、切り絵みたいな不思議な作品もあった。それと、描かれた人物のエキゾチックな無国籍さも面白かった。色んな発見があって、とても有意義な展覧会でした。
写真をあまり撮らなかったのは、途中でカメラのトラブルに見舞われたからなんだけど、その分、作品を鑑賞するのに専念しました。パスキンの油絵は、パサパサッとはしてなくて、しっかり描き込まれていました。ちゃんと見てなくてすいません。
 
あと、パスキンの絵を見ていたら、何故か鴨居羊子の名前が脳裏に浮かんだ。ふくよかな体型のイメージか?でも、それよりは弟の鴨居玲の方が、存在としてはパスキンに近いのか?やはり自殺してしまったし。雑感としてメモ。