この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

天岷さん。

先日、母親に東郷青児展に行った話をしたら、母は天岷さんの事を話しだした。

「天岷さんは、東郷青児と一緒にパリに行った事があるのよ。パリでの二科展の写真に天岷さんも写ってなかった?」

と聞いてきたんだけど、残念ながら自分は天岷さんの顔をよく覚えてないので、分からなかった。

ていうか、そんな話は今まで聞いた事がなかった。

そうか。あの中に天岷さんも含まれていたのか。

それを聞いて、今まで自分の中ではぼんやりとした印象しかなかったこの方の存在が、急に地に足のついたものに思えてきた。

 

天岷さんとは高橋天岷という、かつて帯広市内にあった『喫茶モーラ』のマスターだった方。画家であり書家でもあった。

二科会の会員で、東郷青児と親交があった。

よく赤い壺の絵を描いていた。

モーラには東郷青児も訪れた事があったらしい。

 

自分は子供の頃、帯広に行った時は親に連れられて何度かモーラでお茶した覚えがある。お茶って言っても子供だったから、ジュースかサイダーの類を飲んでいたと思うのだが。

 

お店には天岷さんの絵が飾られていて、天岷さんは、いつもパイプの煙をくゆらせていたような、そんなかすかな記憶しかない。

最後にモーラを訪れた時は高校生になっていたから、天岷さんともうちょっと実のある会話が出来ていた筈なんだけど、覚えてない…。


f:id:almondeyed:20201116004158j:image

ネットにお店の外観写真があったので、スクリーンショットしてみた。

平成6年に閉店したのか…。

 

今まで殆どこの方について関心を抱かなかったのは、その絵柄にピンときてなかったからなんだろうな。


f:id:almondeyed:20201118225928j:image

家にある天岷さんの絵。クレパスで描いている。

考えてみれば、これが自分が生まれて初めて目にした、いわゆる本物の“洋画”だったんだな。

滑らかで透明感のある絵肌は、やはり東郷青児の影響下にあるのか。

 

昭和30年代に帯広から渡仏した。しかも当時抜群に知名度が高かった東郷青児率いる二科会一行に選ばれたのだから、そりゃあお店に来るお客さんに、フランスの土産話を武勇伝のように語ってたんだろうな。

 

今の自分だったら、もうちょっと詳しく天岷さんからお話を伺っていただろうに…。