この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

『ジョルジョ・デ・キリコ - 変遷と回帰』展

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ジョルジョ・デ・キリコ −変遷と回帰− | 汐留ミュージアム | Panasonic

先日行なわれたweb内覧会に参加して来ました。

※画像は美術館より特別に撮影の許可を頂いています。

 
ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)は、自発的に見る展覧会を選ぶようになった最初の頃に見た画家なので、自分の中では特別な存在だったりする。
でも、その当時に絵を見た時は、いわゆる初期の形而上絵画にばかり心を奪われていて、その後の、なんだかヒダヒダしたシワっぽい絵にはあんまり魅力を感じなかった。
 
今の自分は、あの頃に比べれば見る絵画のジャンルも格段に増えたし、そういうのを踏まえながら見れば、その後の作品からもまた違った印象を受けるかもしれない。という期待を持ちながら、この展覧会に挑んだ。
 
 
今回の展覧会は、初期から最晩年迄の画風の変遷を辿る、回顧形式になっている。
全104点の内64点がパリ市立近代美術館所蔵。その多くが日本初公開。
パリにこれだけまとまった数のコレクションがあるとは知らなかった。
これらはキリコの妻イザベッラ所蔵の作品で、本人の意志によりここに寄贈されたようだ。
 
学芸員さんの熱の込もったギャラリートークを聞いていると、他にも知らなかった事がいっぱいあった。
両親はイタリア人だが、彼が生まれたのは父親の赴任先であったギリシャだった事。
最初の美術教育はミュンヘンで学んでいた事。
そのため、最初はベックリーンやクリンガー等、ドイツロマン主義の影響が強かった事。
母国のイタリア絵画に目覚めたのは、第一次世界大戦後にボルゲーゼ美術館に行ってからだった事。
 などなど。実は、自分は今までまともにキリコのバックグラウンドを調べた事がなかったんだよな、というのを再認識。
 
ピカソ、ダリ、キリコはよく20世紀の巨匠と言われてるけど、自分も彼らをどこか超越した存在、アイコン視していた所があった。
しかし、今回キリコの素描画をまとめて見た時に、もの凄い人間臭さを感じたのだ。肉体感とでも言おうか。
強い筆圧。力強い線。それに連動しているような息遣いまで想像出来るのに驚いた。
これは学芸員さんが、キリコはもの凄いインテリジェンスな思考の持ち主で、若き日に評価を確立した形而上絵画から、古典主義絵画に脱皮して、周囲から非難轟々浴びた時に、理論を駆使して果敢に対抗した、いわば『戦う画家』であった事を語っていたのに連想されて、そう感じたのかもしれない。
 
展示室内には素描の間が設けてあって、そこにビッシリとデッサン等が飾られていた。
この美術館は全体的に手狭で、素描だけでなく他の絵画もビッシビシに展示されている。
この中で70年にも及ぶキリコの画業を一望する構成になっているものだから、圧縮感が半端ないんだけど、考えてみると、あの歪んだ遠近法で描かれた作品や、どこまでもクッキリとした空が描かれた奇妙な風景画は、却ってこの凝縮された空間にこそ映えるのかも。そう、ここは真空空間っぽかった。
 
 
展示室内の複数箇所にこんな照明が使われていた。
他のデ・キリコ展会場では使われていなかったそうだ。まさにこの会場ならではの演出になっている。
この照明はこの先他の美術館等にも使われるようになるんじゃないかな?
プロジェクトマッピングともまた違った表現が出来そう。
どんな風に使われているかは、行ける方は実際展覧会に行って探してみて下さい。
 
 
古典主義に移行したキリコはその後、更にネオ・バロック様式を追求する。
この頃は結構写実的な風景画も描いていた。あと、フランドル絵画っぽい果物を描いた静物画兼風景画もあったが、これも果物がやたら大きく見えて、やはりシュルレアリスムっぽい。
 
 
古典的な様式を通過した後は、再生と銘打った新形而上絵画を描くようになる。要は、過去の形而上作品のリメイク。
キリコの作品で人気があるのはやはりこの、顔のないマネキン像が登場するもので、実際贋作も数多く作られていたらしい。その為、自身が描いたリメイク作品すら、贋作扱いされた事も。
今回の展示作品の中にも、直前に疑わしいと判断され、差し替えられたものがあるのだ!
 
この時代は、マネキンをブロンズ像にしたりと、自身の描いた像を立体にした作品も手がけている。ちょっと浜田知明っぽいと思った。って、キリコの方が先だってば。
 
 
展示会場の最終章は、『永劫回帰 -アポリネールジャン・コクトーの思い出』というタイトルがつけられていた。
コクトーと言えば、この前見に行った『バレエ・リュス』展には、コクトーと共にキリコの作品も展示されていたっけ。
そういえば、この美術館で一つ前に開催していたピエール・シャローも、キリコと交流があったそうだ。
キリコの、膨大であろう人脈図も、そのうち調べてみようかな。
 
ここに展示されていた絵は明るい色彩のものが多くて、確かにコクトーの絵と相通ずるなと思った。
コクトーらしき人物も描かれているし。
 
この中では、室内に流れ込む水路に小舟が浮かんでいて、そこに人物が一人乗って漕いでいる絵が妙に気になった。
室内と屋外がゴッチャになった境界線の危うさ。それは他の絵にも顕著に現れているが、この、室内に水路、或いは水溜りを置くテーマは、なんか凄く引っかかる。ずっとイメージを引きずっている。
 
キリコはずっと、分かりやすいモティーフを、明確な色と線で表現してきた。
一見とっつき易いが為に、一度それが謎めいて見えて来ると、それが止まらなくなるのだ。繰り返し登場するビスケットも。それは、腹が減ってる時に鑑賞したせいもあるが。地面に転がっている神殿の柱はナルトに見えてしょうがなかったし。
 
キリコは年を取ってもずっとキリコだった。つまり、ずっとヘンだった。それが、今回久々に多くのキリコ作品を見て改めて思った事。面白かったです。12月26日(金)まで開催中。