印象派からその先へ―世界に誇る吉野石膏コレクション展
三菱一号館美術館で現在開催している、『印象派からその先へ― 世界に誇る吉野石膏コレクション』展のブロガー内覧会に行ってきました。
サブタイトルに『石膏』の文字があるので、彫刻作品もあるのかな?と、勝手に思い込んでいたのですが、全点平面作品でした。吉野石膏は石膏ボードのメーカーで、立体ではなかったです…。
本展は、コロー、ミレー等のバルビゾン派から始まり、モネ、ルノワール、シスレー等の印象派、ゴッホ、セザンヌのポスト印象派、ボナール等のナビ派、マティス、マルケ、ルオー等のフォーヴィスムに、カンディンスキー、ミロ等のキュビズム、ユトリロ、キスリング、シャガール、ローランサンのエコール・ド・パリといった、西洋近代美術史の流れを一気に俯瞰出来るというのが、最大の特徴です。しかも展示作品全てが吉野石膏が所蔵するコレクション。という事は、これらは全て日本にあるのか!
※画像は関係者からの特別な許可を得て撮影しました。
印象派コレクションをうたった展覧会は今まで幾つも見てきましたが、今回の展覧会は、特別な話題作で推そうとしていない所が、却って新鮮でした。
でも、一見地味に見える作品にも、特別なエピソードが秘められていたりするのです。
三菱一号館美術館の学芸員の岩瀬慧さんとTakさんによるギャラリートークで、そんな作品のエピソードを披露してくれました。
ここでは風景画で知られるシスレーのエピソードをピックアップします。
シスレーはこの作品を発表した3年後に60歳で亡くなるのですが、彼と画塾仲間であったモネは、その死を悼んで、パリのジョルジュ・プティ画廊で、彼を追悼する展覧会とオークションを開催しました。売上金をシスレーの子供達に役立てられるようにとの計らいでした。
結果、この作品はオークションで9000フランもの値をつけたのです。生前は絵が売れず、経済的に恵まれなかったのに、一緒に展示した他の画家達の誰よりも高額だったそうです。
そして、その追悼展にはルノワールのこの作品も出品されていたそうです。
一緒に出品されていた作品が、長い年月を経てまた美術館で一緒に展示されるなんてステキじゃないですか。
『印象派』という言葉は元々、サロン入選を果たせなかった作品に向けての蔑称でした。
19世紀当時のフランスの美術界で、サロンに入選するには、筆跡を残さない様に描いていたそうです。
入選したいなら、色が濁ってもいいから滑らかに描け。という事だったのでしょうか。
色の輝きを大切にしていたルノアールやモネにとって、そうする事は耐えられなかったのでしょう。
しかし、彼等よりも年長だったマネは、もっと割り切って自在に描けていたようです。サロンに入選出する絵も描けたし、落選して物議を醸す問題作も描けた。「オレだって筆を走らせてスピーディーに描けるんだぜ!」てな調子で。
この作品は、マネと親しかった女性の肖像画なのですが、パパパッと勢いに任せて筆を動かしている所が実に心地良いです。
今までマネってそんなに好きな画家じゃなかったのですが、この作品を見て初めて、「あ、マネっていいかも。」と思いました。
何故かこの2点を見た時、岸田劉生の作品が連想されました。
ルノワールの絵は麗子像みたいに見えちゃったし、ゴッホの静物画は岸田劉生の静物画みたい。まあ、これは私見です。
吉野石膏の印象派コレクションは、1980年代から蒐集が始まった様ですが、その頃の日本は既に、西洋絵画のイメージが庶民にも浸透していたと思います。
もう絵画コレクターは気合いを入れて、日本人に印象派絵画を教えてやろう!というスタンスを取る必要はなくなっていたわけです。
蒐集者の好みに応じて、好きに絵画を買える時代になっていたのです。
そうなると真っ先に考えるのは、自宅に飾るにはどんな絵がいいだろう?とか、もし自分や家族をモデルにした絵を描いて欲しいと思ったら、どの画家がいいだろうとか、そういう視点で選ぶのではないかと思うのです。
このコレクションには、そういう空想を掻き立てられる要素がいっぱい詰まっています。日本人好みというのかな。うるさくなくて、邪魔にならない。欧州の雰囲気はたっぷりなんだけど、親しみやすい作品が揃っています。
この部屋の展示は、美術館というよりも、一般邸宅の壁に飾られているような雰囲気でした。
シャガールの作品が飾られている部屋に入る前の通路。
木漏れ日の中を歩いているみたいな雰囲気で、良かったです。
作品だけではなく、会場の空間も楽しめる構成になっています。
なお、通常美術館の照明は100ルクスは必要なのですが、この展覧会では70ルクスにまで抑えられているそうです。何故ならそれぐらいの明るさでも、印象派の絵画は、荒い筆致と混ざり合っていない絵具のおかげで明るく輝くからです。そんなところも注意して鑑賞してみて下さい。