この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

拝啓 ルノワール先生 — 梅原龍三郎に息づく師の教え

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拝啓ルノワール先生―梅原龍三郎に息づく師の教え|三菱一号館美術館(東京・丸の内)

先日、青い日記帳×『拝啓 ルノワール先生 ― 梅原龍三郎に息づく師の教え』 ブロガー・特別内覧会に参加して来ました。

 

ルノワールと梅原龍三郎って、近代洋画を所有する美術館の常設展示室に行くと、かなり遭遇する確率が高い。

実は、梅原龍三郎は1908年にフランス留学した際に、南仏にあるルノワールのアトリエを訪れ、この2人は師弟関係を結んでいたのだ。

初対面の時、梅原は21歳。対するルノワールは68歳で、この頃既にリュウマチを患っていた。

こんなに年が離れているし、梅原が渡仏した時は、既にポスト印象派の時代に突入していた。もうルノワールは過去の人として位置付けられていたのだ。 

梅原がルノワールの家を最初に訪問した時は、先ずルノワールの奥様が面接をして、お目がかなって対面が実現したという。

そんなちょっとよそよそしい出会いを経て、どう梅原龍三郎はルノワールの教えを吸収していったのか?

 

 この展覧会は、ルノワールと梅原龍三郎の作品を並べて展示する事によって、ルノワールから梅原は何を学んだのかを読み解くのがメインテーマ。

更に、梅原がパリに留学していた時に知り合ったピカソ、マティス、ルオー、ルドン等の作品も展示されていて、当時のフランス最先端の美術シーンはどんな感じだったかを垣間見る事が出来る。

また、梅原が日本の美術館に寄贈した絵画コレクション等も紹介されていて、全体的にコンパクトな展示の割には、見所が多岐に渡っている。

ちょっと散漫な印象を受けなくもないのだが、それは大津絵まで展示されていたからか?

 

大津絵がキーポイント?

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(※画像は主催者の許可を得て撮影したものです。)

展示されていたのは大津絵の掛軸と、大津絵についてまとめた本だったのだが、そこには浅井忠が描いた大津絵を模写したイラストのような絵も添えられていて、これが杉浦茂を思わせるタッチでムチャクチャ面白い!

浅井忠も梅原龍三郎も、熱心な大津絵コレクターだったのだ。

 

この日行われたギャラリートークでは「青い日記帳」を主宰するTakさんのナビゲートで、本展担当学芸員の安井さんと館長の高橋さんが、本展について色々詳しく解説してくれたのだが、それによると大津絵は、明治の初頭には既にフランスに渡っていて、ギメ東洋美術館に収蔵されていたようだ。

当時フランスにいたどのぐらいの人達が 実際に大津絵を見ていたかはわからないけど、展示作品を見ているうちに、梅原の絵は勿論のこと、ピカソやマティスやルオーの絵までもが、大津絵の、あのギロリとした目とシンクロしてきて、なんか可笑しくなってきてしまった。

 

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高橋館長。『横たわる浴女』の前で語る。

 

更にギャラリートークでは、ルノワールの、執拗にボテボテな女性の裸体を描き続ける偏狭ぶりを、アウトサイダー・アート的だと指摘し、ルノワールの印象派外しをはじめたのでビックリ!

実はルノワールは、18世紀のロココ様式を引きずる画家だったのだ。それは『横たわる浴女』に本来かけられていた額のデザインからも如実に伺える。

今は違う額装で展示されているのだが。

この辺は、実際会場に足を運んで見て貰った方がいいかもしれません。

それから、ルノワールの様式にこだわらない大らかな画風も、“土着的”という言葉で説明していた。

土着的要素があるからこそ、やはり何処か泥臭いというか、庶民的な絵を描く梅原と通じ合う所があったのかも。

 

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梅原龍三郎『パリスの審判』。ルノワールの同題作品をコミカルに模写。

 

この展覧会は、ルノワールに梅原龍三郎?メジャーじゃん!といって敬遠する自分みたいな人種こそが見に行くべきなのかもしれない。ルノワールの絵のイメージがちょっと変わりました。

 

2017年1月9日(月・祝)まで開催中。おもしろい展覧会だと思います。おすすめ。