麻田浩展 静謐なる楽園の廃墟
練馬区独立70周年記念展 没後20年 麻田浩展 ―静謐なる楽園の廃墟― | 展覧会 | 練馬区立美術館
練馬区立美術館で開催中の、この展覧会を見てきた。
展覧会タイトルを見た時は、「麻田浩って誰?」だったのだが、この美術館が紹介する、知られざる画家達の作品に、裏切られる事は滅多にないのだ。
今回も期待は裏切られなかった。いやー凄い画家がいたもんだ!またも見終わった後は全身ぐったりで、暫く動けなかった。
今年は画家の没後20年にあたる。
これだけ大規模な回顧展が開催されるのは、今回が初めてとの事。
作品を見ているうちに、あれ、この人の絵はこの美術館で見た事があるぞ!と思った。
家に帰って調べてみたら、今年の初めに見に行った、粟津則雄コレクション展に出品されていた。
がーん!見ていたのにすっかり忘れていた。
でも、わりかし短期間で、作品に再会出来て嬉しかった。
あの粟津則雄コレクション展は、麻田浩展の予告展という意味合いもあったのかなと、今になって思う。
見に行った日は、会場ロビーで記念コンサートが行われていた。
展覧会場に行っても、いつもオブジェとしてしか目にしていなかった、スクエアピアノの音色が初めて聴けて嬉しかった。選曲も、画家が繰り返し繰り返し描いていた水滴をイメージした、シベリウスの『水滴』が演奏されたり、画家をイメージして作曲したという、十河陽一の『光の在り処』が聴けたのが良かった。あと、サラサーテの『サパテアード』も!
1979年放映のドキュメンタリー番組。作品制作現場が見られる貴重な映像。
なるほど。作品のタイトルに登場した『原風景』というのは、どこでも見る事が出来る、ありふれたものを描いているという意味での原風景だったのか。画家の最初の記憶の中にある風景ってわけでもないのか。
あと、油彩画はおつゆ状に溶いた絵具の流れに任せて構図を決めて行くというのも、作品を見た時に、多分そうじゃないのかなーと思ってた。
銅版画を作る時は、画面構成を全てコントロールしていたのか。そうしないと描けなかったのか。
自分はまだ銅版画にチャレンジした事がないから、その辺のあんばいは分からない。
ただ、1970〜90年代の、最晩年直前迄の油彩画は、画面に安定感があった。偶然に委ねたという感じはしなかった。まあ、たまにキャンバスの端に塗り残しがあって、意外にアバウトな人なのか?とは思ったが。
それがガラガラと崩れたのが、展示室の最後の方に現れた大作だった。
どこに焦点を合わせたらいいのか分からない、バランスの悪い絵。
あれは、制御不能に陥っているというメッセージだったのか。偶然性で遊んでる絵だとは、とても思えなかった。言葉で語られなくても、画家の苦悩ぶりが否応無しに伝わってくる、凄い絵だった。
19日(日)迄です。お見逃しなく。