『建築家ピエール・シャローとガラスの家』展
建築家ピエール・シャローとガラスの家 | 汐留ミュージアム | Panasonic
先日行われた夜間特別内覧会に参加してきました。
※画像は美術館より特別に許可をいただいて撮影したものです。
ライセンス無しの建築家。
フロアスタンド《修道女》。奥にあるのは暖炉用品で、スコップと薪挟み。
ランプの部分はアラバスター(半透明の大理石)を使用。
そのアラバスターを使ったプレート。
これを使った室内写真を見ると、なんだか提灯みたいにも見えた。
『横たわる女』ジャック・リプリッツ。
これは暖炉の薪の山に立てかけておく飾り物。
本体だけでは自立しないという不思議な石膏作品。
これを見ていると何故か根付を連想する。
化粧台と化粧台のスツール。
直線的でありながら柔らかい雰囲気。
スツールの革張りは張り替えているそう。元は台の色のようなうす茶色だったらしい。
書架机。アンピール様式で一本足だった。すごくモダンだ。
コロニアルスタイルの住まいの食堂デザインとその写真。家の中にもう一つの家をつくるという発想は、のちの『ガラスの家』にも通じるのか。
その『ガラスの家』(1927-1931)とは、18世紀のアパルトマンの3階部分のみを残し、下の階は全てくり抜いて、シャロー設計の病院兼住居スペースをはめ込んだという、当時としては相当斬新な建物なのです。
当時、数多くの建築雑誌等に紹介されたらしい。
未来的住居の代表的なモデルだったのだろう。
今回の展覧会は、今まで家具、インテリアデザイン、建築と、バラバラに紹介される事が多かったピエール・シャローの仕事を、ひとつにまとめて紹介するというものです。
こうして全ての作品を見渡してみると、家具にしても、建物にしても、可動するものやモビリティさに重点を置いてデザインしているのが非常に興味深かった。
しかし、このような画期的で美しい作品を残しながら、1929年の金融恐慌と、迫り来る第二次世界大戦のあおりを受けて仕事が激減。ユダヤ系フランス人であったシャローは、1940年にアメリカに亡命してしまう。
新天地アメリカでは言葉の壁もあり、手がけた仕事は少ない。
しかし少ないながらも、ロバート・マザウェルのアトリエ兼住居という、ちょっと意表をつく繋がりの作品を残したりもしている。
これも、古い鶏舎か何かの建物をリノベーションしたものだった。
可動性というキーワードだと、ガラスの家も、現在は元の持ち主の手を離れ、アメリカ人が住んでいるというし、仕事の内容も、職人や芸術家や建築家仲間と、コラボレートしながら作っていったものが多い。
空間も評価も人も、フワフワと、作品自体から離れていったりくっついたりするのが宿命なのかな?この人の作品の場合は。なんて事を考えながら見ていたのでした。