この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

ジュリア・マーガレット・キャメロン展

f:id:almondeyed:20160727191340j:plain

『ゾーイ―アテネの乙女』(1866年)

 
ラファエル前派を写真にしたような世界。

先日、三菱一号館美術館で開催中の『ジュリア・マーガレット・キャメロン展』の、ブロガー・特別内覧会に招待されたので行ってきました。

 

ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-79)は、まだ広く一般に普及していなかったカメラを19世紀半ばに手にし、独学で技術を習得したそうです。彼女はその時既に48歳(!)。日本でいえばまだ江戸時代末期。坂本龍馬が上野彦馬の写真館で有名な肖像写真を撮ったのも同じ時代。あの頃既にこんな幻想的で魅惑的な芸術写真が、しかも女性の手で撮られていたとは!

 

彼女が活躍した19世紀のイギリスはヴィクトリア王朝時代。経済、文化共に爛熟期であった。女性の社会進出も目覚ましく、色んな分野でさまざまな女性が後世に名を遺す仕事を成し遂げた。

そんな中で、ジュリア・マーガレット・キャメロンは、カメラという当時最先端の技術に出会い、これが自分の世界を表現するのに最も適した手段だという事を確信し、自分の後半生を全て写真に捧げたのだ。

しかし、当時のカメラといえば、男性だって抱えて持つのに苦労する代物だった。三脚を使わないと撮影不可能。今みたくネガが引き延ばせるわけではない。ネガの原板が今展示されている写真の大きさだ。以前見に行った他の写真展で同時代のカメラの実物を見た事があるけど、ハンパなくでかかった。よくこんなのを使いこなそうという気になったもんだ。おばちゃんパワーは時代を問わずあなどれない。

 

f:id:almondeyed:20160727190800j:plain

この人がジュリア・マーガレット・キャメロンさん。小柄でがっしりとした体格だったらしい。

 

ギャラリートークでは『弐代目・青い日記帳』主宰のTakさんと、東京都写真美術館学芸員の三井圭司さんが、当時の撮影方法やカメラの性能等について詳しく説明してくれました。

解説によると、撮影に使われたのはコロジオン湿版。ガラス板に塗布した薬剤が渇かないうちに撮影しないと定着しないらしい。だから、撮影現場の傍らにこうした溶液を用意するなど、準備を整えないと写真を撮る事は不可能だったのだ。

しかも、感度はたったのISO0.1!光のコントロールも意識的に行わなければならなかったから、撮影するのに相当苦労したんじゃないかな。

 

とは言っても、彼女が究極的に追及したのは技術の完璧度ではなくて、その写真から漂う、何とも言えぬ「ムード」にあったように思う。それが出せるのであれば「ブレ」も「ボケ」も厭わないし、テーマによっては自分で月なんかも描き加えちゃったりする。そういう作品を見ているうちに、これは日々の料理と同じような手順を写真に置き換えているのかなという風にも思えてきた。ちょっとまずくても食べてしまえばそれっきりみたいな。

 

f:id:almondeyed:20160727191514j:plain

『クリスタベル』(1866年)

モデルはメイ・プリンセプ。キャメロンの義理の姪。この表情が何とも言えない。

 

写真は永遠のものなのか?

写真って、当時は未来永劫残っていくものだと思われていたものなのだろうか?案外、時間が経てば消えていっちゃうんじゃないかと疑われてなかったか?キャメロンさんが、ごり押しにも近い形で、自身の作品のプロモーション活動に打って出たのも、「今だけのものだから!」という向こう見ずな姿勢で突っ走って問題なしと判断したからではないかと。

幻想的で優美な作品を目の前にして、うっかりそんな想像をしてしまった。

この辺は、展示されている書簡によって垣間見ることが出来ます。

 

実際はこうして、100年以上経っても見られるし、今見るからこそ、彼女の作品が持つ、本当の魅力が伝わっているんだと思います。

この世界が好きな方は是非見に行って下さい。おすすめです。

 

※画像は主催者の許可を得て撮影しました。

 

ジュリア・マーガレット・キャメロン展|三菱一号館美術館(東京・丸の内)

9月19日(月)まで開催中。