この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

アンティーク・レース展を見てきた。

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※これはジュニアガイドだけど、大人にとっても役に立つ。

ダイアン・クライスコレクション アンティーク・レース展 〜Lace,Thread of Comfort〜

横浜のそごう美術館で開催中の、アンティーク・レース展を見て来ました。

 

 レースは『糸の宝石』とも呼ばれるように、装飾品の中でも、最も豪奢なものとして存在している。

ヨーロッパの王侯貴族達は、自らの富と権力の象徴として、美しいレースを身に着けて来た。

しかし現在では、レースをそんな風に用いる人は、あんまりいない。

装飾自体が、あってもなくてもいいものになってしまっているからである。

とはいっても装飾は、弔いの儀式に使われる花等がその起源とされているので、人類にとって無くてはならない物でもあるのだ。

 

装飾といえば、東京都庭園美術館で今年2月迄開催されていた、『装飾は流転する』展を見に行ったのだが、正直、感覚的に見ていてきついものがあった。

多分あの建物が元々、生活の場として建てられたものだからだろう。どうも、あの場に置かれた作品にその、住んでいた人の気配が乗り移ってきている様に感じられて仕方がなかったのだ。

 

今回のアンティーク・レース展には、亡くなった人の毛髪で織られたレースも出品されていて、それを見た時はうわーっ!と来るものがあったんだけど、どうにか平常心で見られた。

 

機械織レースが登場する迄、レースは多くの職人達による手作業で作られていた。

展示されているレースは、古い年代の物であればある程、作った人の手や目の気配が、何となくレースの背後から感じられた。

 

そういえば以前、フェリックス・ティオリエ展を見た時、19世紀フランスの農村を撮った写真があって、そこの女性達は皆レースを作っている、というような解説がついていた事を思い出した。

彼女達が実際、どんなレース製品を手作業で作っていたのかは分からないのだが、大作の注文がいつ入ってもいい様に、細かいパーツを幾つも幾つも作ったりしてたんじゃないかな?

 

展覧会は以下の5章で構成されている。

  1. 誕生と変遷
  2. レースに表現されるもの
  3. 王侯貴族のレース
  4. キリスト教文化に根付くレースの役割
  5. ウォー・レース(戦争のレース)

 

ウォー・レースというのは、レースが政治的に利用された事を示す作品で、エンブレムのパターンとかが作られていた。

第一次世界大戦中、ベルギーでレースの職人技を保護する為に王室が動き、米国の積極的な支援で、原料供給から完成品の買取が行われた。いわば当時連合国と、レースによって深い繋がりが築かれたという事か。

 

レースが、ガラス工芸品のような芸術的評価を得られにくいのは、古ければ古い程、レースはくたびれ果てて、ぱっと見、無残な姿になるからだろう。

レースはほつれやすいから、展示作品の中には、継ぎはぎだらけのものがある。

繕い続けて、大切に長く使われたのだろう。

継ぎの痕自体が、そのレースにとっての勲章だ。継ぎが多ければ多い程価値がある。

 
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※この写真は展覧会には出品されていません。

フェリックス・ティオリエが1910年頃に撮影した写真。これは教会内で着用されたレースだろう。

こういう、生活に根ざしたレースこそ、尊い

 

会場には虫眼鏡も用意されていますが、数が限られているので、お持ちの方は持参すると便利だと思います。

展示作品の中には、撮影可能なものもあり。

5月13日(日)迄。

松濤美術館に来たら、また行こうかな。