没後30年 銅版画家 清原啓子 展
『本物の銅版画家』と呼ばれた、清原啓子(1955-1987)の全作品30点を紹介する展覧会を見てきた。
TVで展覧会情報が紹介されたからなのか、結構会場は賑わっていた。
わたしが清原啓子の存在を知ったのは、没後刊行された作品集のレヴューを、マリ・クレール誌で目にした時だった。
雑誌自体は処分したが、スクラップは残してある。
当時記事を読んで、そのあまりにも特異な作品と作者像から、美術館に所蔵されるような画家ではないのかも…。
という間違った認識を抱いた為、実際に実物を見る機会を得るのがこんなにも遅くなってしまったのだが、今回ようやく作品と向き合ってみて、ああ、この人は当たり前なんだけど、20世紀後半のあの時代を、しっかりと生きていたのだなと思った。
作品と共に、彼女自身が綴った断章も読む事が出来た。
1980年代の、軽薄な時代の空気を憂い、自分の想いが陳腐な言葉でしか言い表せない事に苛立つ。
「ああ、なんか分かる。」
という安易な言い方でしか、彼女への共感を唱えられない自分自身が情けなくなって来るのだが。
彼女の言葉の中で、"パランプセスト"という単語が出て来てハッとした。
パランプセストとは羊皮紙の事。昔は紙資源が貴重だったので、羊皮紙を再利用する為に、その紙に書かれた文字や絵は削るか消されていたのだ。
展示室で一番の見どころは、『孤島』という作品で、完成までの工程を辿る試し刷りが、何枚も何枚も並べられていた。
1枚1枚にキチンと日付が記されている。それを見ると、最終ヴァージョンに行き着く迄に3年もの月日が流れていた。
彼女の作品は僅か30点と言われているが、その、削って、描き直しての過程で描かれたものも1点としてカウントしたら、膨大な数に跳ね上がるのでははないか。
展覧会を見る前は、もっと生きて沢山の作品を描いて欲しかったなどと、勝手な事を考えていたのだが、実際に描いたものと向き合ったら、もう、これが限界だったのかもしれないと、思わずにはいられなかった。
この展覧会を見たら、久々に久生十蘭も読みたくなった。
と思ったら、こんな展示も始まっていた。行けるかな?