この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

『あけぼの村物語』(1953年) 山下菊二

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東京国立近代美術館で13日迄開催されていた『No Museum No Life ? これからの美術館事典』は6月から始まっていたのに、実際に足を運んだのは会期最終日だった。
これは、美術館で展示されている美術作品ではなく、それを飾るハコの側にスポットライトを当てた展覧会だった。それにしてもこんなにも飾られている作品の印象が薄い展覧会も珍しい。しかし、作品を鑑賞する上での新たなポイントをしっかりと提示していた。ここで気付かされた事は多分、これからの美術鑑賞でジワジワと生かされて行くのではないか。現時点ではこんなあやふやな事しか書けないのだが。
 
 
常設展示室では戦争画の充実ぶりが目立っていた。
一人もくもくと3Fの展示室を見ていたら、ギャラリートーク参加者の一群がワラワラと近付いて来た。そして、この記事のタイトルにした『あけぼの村物語』の絵の前に集まり、この絵についての解説が始まった。
ふむ、これなら面白そうだと思ったので、何となく参加者と一緒になって聞く事にした。
この絵は結構中学生にも人気らしい。ちょっとお伽話っぽいタッチだし、細部までしっかり描かれているからかも。
解説担当の方は、この絵は描かれた当時は不評で、美術評論家の針生一郎は、長い年月をかけて何と3段階に渡っての論旨替えがあり、その都度評価が上がっていったという事を、冊子を見ながら説明してくれた。

東京国立近代美術館で発行している定期刊行誌の、現在のところ最新刊である『現代の目』613号の表紙は『あけぼの村物語』で、巻頭の記事にこの辺の事が詳しく書いてある。

 この絵は近年になって近代美術史上の最重要作品と位置付けられているようだ。それでこうしてギャラリートークでも大きく取り上げられる1枚になったのか。

いやもう解説者の方も熱心にこの絵の背景やら何やら語ってくれるし、鑑賞者の中には「あ!」と気づかされるような解釈をする人もいたし。画面中央の奥に描かれた梯子のような物体は、あれはイーゼルであり画家だという風に『現代の目』では解釈されていたけど、この日は“火の見櫓”ではないか?という指摘があった。それは気付かなかったわ~!

来年は山下菊二の没後30年だし、2019年は生誕100年に当たるし、どちらかの、いや両方の節目で大々的な回顧展が予定されているのかもしれないなという盛り上げ方だった。

しかし、この絵がこの美術館に収蔵されたのは、そんなに昔の話じゃないよなと思ったので、確かめる為に、「これっていつこの美術館のものになったんでしたっけ?」と質問してみた。そしたらやっぱり、当館所蔵になってから1年ちょっとしか経ってないとの事。『現代の目』によれば2013年と、ムチャクチャ最近なのだ。描かれたのは今から60年以上も前なのに。

そういえば、わたしがこの美術館に行くようになってから30年程経つのだが、当時の常設展の雰囲気なんて、権威に胡坐をかいていて活気が全くなかったような気がした。記憶違いでなければ上階の一角に食堂があって、お昼時はそこから漂ってくるカレーの匂いを嗅ぎながら村山槐多の絵を鑑賞したような覚えがある。

 

almondeyed.hateblo.jp

(9/22追記)すっかり忘れていたんだけど、カレーの匂いについてはこの記事でも触れていた。しつこいなわたしも。多分自分はこの『美術にぶるっ!』展で、初めて『あけぼの村物語』を見たのではないかと思う。

 

そんな当時の美術館に山下菊二の絵は何点収蔵されていたかと言うと、小さなコラージュ1点と油彩の小品1点のみだったらしい。これは1978年に書かれた谷川晃一の論証から引用したので、それ以降は段々増えていったのではないかと思うけど。特に1981年に東京都美術館で開催された『1950年代 ―その暗黒と光芒―』展以降は。

そう考えると、この美術館も随分と雰囲気が変わったな。美術館ではうっかりランチも出来なくなっちゃったし(違)。

 


日曜美術館 山下菊二 「時代を見る眼」解説:谷川晃一 - YouTube

これは凄い。見応えがある。