この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

ジャン・コクトーのこと。

何故か今頃になって読み出している。

目立たないけど、今年はコクトー生誕120年。
この辺は、最近になってはじめて読んだもの。
実はこの人の文章の類いって殆ど読んで来なかったのだ。

「占領下日記」

占領下日記 1942‐1945〈1〉
フランスがナチスドイツ占領下にあった1942年から、解放直後の混乱期に当たる1945年にかけて書かれた日記。
原文の一部は大判のデッサン帖に書かれていたそうで、時折デッサンが描かれていたり、または友人等からの手紙がそのまま貼りつけてあったり、新聞等の切り抜き、自身の原稿を貼りつけていたりと、スクラップブックの形式も兼ねていたようだ。
どうやらこの日記はコクトーの自宅を訪れた人なら誰でも閲覧可能だったらしい。閲覧だけでなく引用も可能。まるで今で言うブログのような代物なのだ。こんなものがナチス占領下のパリに存在していたなんて…。恐るべしジャン・コクトー
文章自体、ラフなスケッチっぽく書かれているせいか、一部、棒線で消されていたりするような箇所でも解読され、復活しちゃっているのが何ともはや…(苦笑)。
日記形式で綴られたコクトーの作品は他に幾つも存在するのだが、特殊な状況下の日常が淡々と、しかし生々しく描かれているという点では突出している筈。日記ものだと「定過去」は未訳なので比較出来ず。

ジャン・マレーへの手紙」

isbn:4488018890
占領下日記がブログなら、こちらはメールか。25年にも及ぶマレーへの書簡集。600通以上にも及ぶからかなりの分量。マレーとひとつ屋根の下で暮らしていた時に書かれた手紙もある。マレーが出征して離ればなれになると朝昼晩書く書く書く。コクトー先生、50にして発狂するの巻。
まあ戦争中は劣悪な郵便事情のせいで、実際紛失してしまった手紙もあるらしいが。配達の不確実性、タイムラグといった障害が、文章に臨場感を与えている。これは今のメールじゃ味わえない。
しかも、時折手紙に添えられているイラストがまた可愛い! レイアウトも凝っていたりして。
しかし、さすがのコクトー先生も、こんな私信のみが綴られた手紙の大半が公開されるとは、ちょっと想像出来なかったんじゃないか?

コクトーの声

asin:B00004ZB0R
1929年の録音。ジャズ・オーケストラの演奏に合わせて、軽快に詩を朗読しています。さしずめ、今で言うならラッパーか?

もしもジャン・コクトーが今の世の中に生きていて、現役活動中だったら、小指にはトリニティリングではなくもっとでっかいリングがはめられ、調子っ外れのラッパーとして一世を風靡していたか(してないしてない)、電子端末を駆使して、我々のような常人にはとても考え付かない破天荒な事をやり出すかもしれない。
でも、薬物中毒で廃人同然となるか、そうでなくてもHIVポジティブになるか…、うーん微妙だ。