この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

原田治展 「かわいい」の発見

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https://www.setabun.or.jp/index.html

原田治の『ぼくの美術帖』を読んできた者としては、必見の展覧会だぞこれは!と、鼻息荒くしながら見に行った。

 

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ぼくの美術帖 【新装版】

ぼくの美術帖 【新装版】

 

 

原田治(1946-2016)は、1970年代後半〜90年代にかけて、日本中の女の子達に絶大な人気を誇った『OSAMU GOODS』の生みの親。

でもわたしは当時、全くではないけど、殆ど持っていなかった。

若い頃は、絶対にこれを持ちたい!とまでは思わなかった。周りの子達は皆、オサムグッズを持ってたし。

 

後年『ぼくの美術帖』を読んで、日本美術史についての熱き筆致に驚き、この人の本質を知った。というのが、原田治との本当の意味での出会いだった。

 

展示室内は、殆どのスペースが撮影OKだった。

それは、出品作品の多くが、市場に出回っていた「商品」だからだろう。

 

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プレ原田治期の作品は、ごく控えめな点数だった。

これは、子供の頃に書いた絵日記。

 

撮影禁止だったのは、北園克衛小村雪岱宮田重雄鈴木信太郎等の作品が展示されていた一角。

ここの扱いが小さかったのは、ちょっと物足りなかった。でも、ここは美術館じゃなくて文学館だから、しょうがないのか。いや、文学館だからこそ、ここを強調じゃないのか?

 

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それはともかくとして、原田治のルーツよりも、売れっ子時代の、職人的とも言える仕事ぶりの方が、どう見ても圧巻!だった。

 

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崎陽軒のひょうちゃん! これは2代目だって。

 

原田治の言う『可愛い』とは。

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ここに書かれているように、原田治の作品が放つ魅力は、健康的、明るい、屈託のない中に見え隠れするダークな「何か」。そこに気づいた時のキュンとした気持ち。何とも言えない嬉しさ。

 

原田治の『可愛さ』への真摯な追求心は、こういうところに顕著に現れていると思った。

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凄く細かく丁寧に指示されている。分かりやすく、誤解が無いように伝える姿勢は徹底していた。

でも、原田治はそれだけじゃないのだ。

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これは雑誌『ビックリハウス』にあった、メディアジャパンというコーナーの扉絵。

左にいる天使くんは、ビックリハウスの読み過ぎで、神様に怒られてうつむいているように見えるけど、実はこちらを向いている、のっぺらぼうの子みたいにも見えたりするのだ。本当の表情は、見ているこちら側に判断を任せているのだ。

 

って、分かりにくい例を出してしまったな…。

会場にはもうちょっと毒をはらんだ、でも決して下品ではない絵が展示されているので、実際に足を運んでみて下さい。

 

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懐かしいぜビックリハウス

恐らく、現在40歳以下の方には馴染みがないだろう。

この雑誌は原田治にとって、「悪ふざけ」の格好の場だったのだ。

 

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振り返ってみると、1970〜80年代ってまだおおらかな時代だったんだな、と思った。だからこんな可愛いものが生まれてきた。

戦後のアメリカナイズされたポップさから、もうちょっと踏み込んだ、一般の人達の感性に寄り添った、普遍的な世界。

 

会場内にある図書室には70年代のananとか、雑誌JAMとかが置いてあったので、熟読してしまった。NHK-FMYMO三昧も聴いちゃったし、今年のお盆はすっかり1970〜80年代にタイムスリップしてたわ。

 

9月23日(月・祝)まで開催中。