糸のみほとけ その1
26日で終了したこの展覧会の最終日に、滑り込みで見てきた。
日本の歴史において、顔料で描いた仏画よりも、刺繍や綴織による仏画の方が古くから制作されていた事は、この展覧会を見るまで全く知らなかった。
この『糸のみほとけ』展は、刺繍や綴織で描かれた仏画と、その関連資料等を各地から集結して展示するという、相当レアな企画。これは見たい!と、展覧会が始まった頃から思っていた。しかしなかなか重い腰が上がらず、結局行けたのは最終日だった。
最終日だから人がわんさか押し寄せているかと思いきや、朝一に行ったせいかそうでもなかった。普通に多い程度。流石にここは奈良。東京だったらこうは行かない。
展示室に入って最初に登場したのが、日本最古の繍仏と言われる『国宝 天寿国繍帳』。
聖徳太子が亡くなった後、往生した世界を見たいと太子の妃が願い、推古天皇が宮中の采女に命じて、この繍帳を作らせたという。
そうか、元はカーテンみたいなものだったのか。
この作品の前には多くの人だかりが出来ていた。
こんなに間近で見られる機会はそうそう無いからだ。
今回、この企画展が大きな話題になっていたのは、ほぼ全ての作品が、近くで見られる様に展示されていたからだ。
あんまりにも近寄って見るものだから、ガラスケースが人の脂で汚れていた。
それを見つけては拭き取る、見つけては拭き取る係員の皆さん。ご苦労さまでした。
展示品は、飛鳥時代に作られたオリジナルが経年劣化でボロボロになったので、鎌倉時代に劣化部分を復元させたものを、更に江戸時代になってから軸装に作り変えたもの。その際、飛鳥時代の刺繍と鎌倉時代の刺繍とを混在させ、アップリケの様に縫い付けている。コラージュにしちゃっているのか。なお、現在は額装。
飛鳥時代の刺繍部分と鎌倉時代の刺繍部分とは、明確に異なっている。何と、年代が古い飛鳥時代の方が色鮮やか!鎌倉時代の方は退色著しい。
古い方は強く撚りをかけた糸を使い、返し繍と呼ばれる、西洋風に言うならアウトラインステッチで、みっしりと刺している。
新しい方は、この時代主流になった平糸(撚ってない糸)が使われている。技法が進歩しているのをアピールすべく繍法は多彩なんだけど、手間暇かけて刺している感じがしないのだ。
恐らく、飛鳥時代と鎌倉時代とでは既に、時間の捉え方が違ってきていたのではないか。
飛鳥時代の人達は、千年以上のスパンで続くもの作りをしていた。対して、鎌倉時代の人達は長くて百年先、ぐらいのスパンでしか考えなくなっていたのかも。遠い未来よりも現世を重視。
展示室を更に進んでいくと、今度は阿弥陀三尊の種子の繍仏や、阿弥陀名号を刺繍した掛軸等が出て来る。
この種子(仏を表す梵字)や、「南無阿弥陀仏」の名号を刺すのに、何と髪の毛が使われているのだ。あと、阿弥陀三尊の頭髪部分に使われている事もある。
刺繍糸の部分は退色しているのに、髪の毛で刺繍した部分は黑々としていた!
改めて髪の毛の威力にビックリ。そして、今回の展示作品は全て、人々の祈りがかたちになっているのだという事を、否が応にも思い知らされた。
古き良きものが数多く根付いている奈良で見るからこその説得力というか。いやー、ズシンと来た。
一旦ここまで。まだ続けます。
奈良公園にて。
観光客向けにポーズをとる鹿。アイドル気取りか?