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この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

『没後50年“日本のルソー” 横井弘三の世界展』を見てきた。

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没後50年“日本のルソー” 横井弘三の世界展 / 練馬区立美術館

昨年、この展覧会が長野県飯田市で開催された時は、絶対そこまで行ってやる!とまで思ったんだけど、結局断念。しかし、練馬区立美術館に巡回する事を知り狂喜乱舞。やったー!

という訳で、展覧会が始まってわりかし早い時期に足を運んだ。しかし、なかなか感想文が思うように書けない。
 
横井弘三(1889-1965)の絵を初めて見たのは多分、2008~9年に渋谷区松涛美術館で開催された『素朴美の系譜』展でだった。あの時に受けた奇妙な絵の印象は、ぶっ飛んだ絵ばかりが並ぶ同展覧会の中でも一種異様だった。あれ以来、この人の展覧会が開催されたら是非行こうとずっと思っていたのだ。
 
独学で絵を学んだ横井の作品は、1915年の第2回二科展で初受賞を果たす等、デヴュー当時は華々しい活躍をしていた。しかしその後、あまりに独自の表現手段を追い求めたが故、中央画壇からは分離。第二次大戦後は長野に移住し、地元の支援者による援助の下で創作活動に専念した。自分の絵を売るのは信念にそぐわないとして、作品の多くは個人や学校等に寄贈。絵を教える職にも就いてはいたのだが、それを本職にする事はなかった。
 
独自のジャーナリズム

展覧会の中で一番印象に残ったのは実は彼の絵画作品ではなくて、最後に展示されていた一連のフリーペーパーというか、壁新聞というか、よくわからん印刷物だった。

あれって、よくインド雑貨等を扱っているお店に置いてある手書きのフリーペーパーと一緒じゃん!と思った。

余白の隅々にまで細かく字や絵が書いてあって、どこから読めばいいんだよ!とツッコミを入れたくなるフォーマットのものだ。

そういえば晩年の横井さんの風貌もタゴール風だしな。画風もどこかにインドっぽさが漂っているのだ。

壁に貼られているとこれらの紙は読むのに一苦労なのだが、ああいうのを書かずにはいられない程、この人には書きたい(描きたい)事、伝えたい事が、日々とめどなく溢れ返っているのだなと思わずにはいられなかった。

絵画作品の中にもよく文章が挿入されている。こういうのも読むのが大変だった。

 

横井弘三は、中退はしたが早稲田大学にも行っていたぐらいだから無学ではない。自伝本も執筆しているし、本の挿絵も手掛けている。出版界とも繋がりがあった。だから伝達方法にも心得があった筈。なのに、自伝は縦書きの文章を左から右に読ませるように組んでいて実に読みづらい。どこかで自分の想いを分かりにくくするように仕向けている。

しかし、こうして実際に大量の作品と向き合っていると、妙に分かり合えるというか、この表現方法にしっくり来るというか、作品の魅力にやられちゃうんだよな。魔法にでもかけられたように。

 

まだ消化不良なので、展示替えが行われる5月10日(火)以降に、もう1回観に行こうかなと思っているところです。会期は6月5日(日)まで。