この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

生誕110年 海老原喜之助展 ― エスプリと情熱

 
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桜に間に合った。良かった〜!
 
開催前から楽しみにしていたのに、結局会期最終日にギリギリ駆け込む。やはり横須賀は遠かった…。
 
 

海老原喜之助(1904-1970)の絵を知ったのは、洲之内徹が偏愛したという『ポアソニエール』を見たのがきっかけだった。青を基調とした、魚の入った籠を頭に載せた美しい女性の絵だった。でも何だか素っ頓狂な絵だと思った。世の殿方共が好みそうな、ちょっと俗っぽさを匂わせる表情がずっと頭に残っていた。

 
洲之内徹といえば、同美術館の次の企画展『ほっこり美術館』でフィーチャーされている長谷川りん二郎の『猫』も、洲之内コレクションだったな。何気に繋がっているぞ。
 
さてそのポアソニエールだが、実際に作品と対面した印象は、「ちょっと疲れてない?この子。」だった。
青も、印刷物で見た時はもっとクリアに映っていたのに、美術館の照明越しだとくすんで見えたので、あれっ?と思った。結構色調に左右される絵なんだ。
 
 ナマモノの絵
水でモドシタ食品はうまくない。そういうモドシタ味の絵はおもしろくない。おれが描きたいのはそういうモドシでない絵だ。

アサヒグラフ別冊(1986年秋号)より


海老原喜之助の実家は乾物等を扱う仲買商だった。だから、旨味が凝縮された乾物の味を知っている上で、あえてフレッシュなものを追い求める事に決めたのだろう。だいたい、名字に乾物の代表とも言える“海老”がついてる人だもんな。

青年期は村山槐多や高間筆子の絵に影響を受けて、自身も表現主義的な絵を描いていた。

渡仏後は、ブリューゲルアンリ・ルソーにインスパイアされた絵を描く。作品によってはルネ・マグリットジョルジョ・デ・キリコを彷彿とさせるものも。

 戦後、日本に戻って活躍した時は、学生運動などの混乱を見据えたテーマの絵も描く。でもそれも、社会が落ち着きを見せた頃にはもっとパーソナルな視点の絵に移っていく。
 
海老原喜之助は宗教画も数多く残した。その多くは、馬や蝶などの姿に託して表していた。
凄惨な戦場を用いて宗教画を描いた藤田嗣治とは対象的だ。
あれは戦争画としてしか世間では見なされず、そのせいでフジタは日本画壇から永遠に追放されてしまったのだから。
 
海老原はパリで藤田嗣治から薫陶を受けていた。
展示室にはフジタが描いた《海老原喜之助像》が出品されていたが、ちょっと悪意を感じる表情に描かれていた。もしかするとフジタはこの若き才能に嫉妬心を抱いていたのかも。
 

『ポアソニエール』を見た時、絵の中の女性から、「ちょっとアタシ、そろそろここにいるの疲れちゃってるんだよね~」と訴えかけられたような気がした。いや別に、これは自分の勝手な妄想なんだけど。でも、この絵が描かれたのは1934年で、既に80年以上の歳月が経っているんだけど、全然そんな感じがしなかった。
展覧会を見終わった後、上に引用した海老原の言葉を見つけて、ああ、確かにあの絵は生っぽかったよな〜。なんて思ったりした。
 
海老原喜之助は、『生誕』とか『没後』とか、あらゆる節目で回顧展が開催されていた。それだけポピュラーな画家だったという事なのだろうが、きっと、どの時代においても、絵が何がしかの新鮮さを発揮させるから、繰り返し開催されるんじゃないかなと。なんか、そんな感想を持った。