この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

物語絵 ―〈ことば〉と〈かたち〉 ―

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出光美術館(東京・丸の内) - 出光美術館

15日で終了してしまった展覧会なのだが、印象に残ったので書き留めておく事にする。

会期終了間近の13日は7時まで開館していたので、仕事帰りに直行。
会場に着いた時は6時を過ぎていたので既に6時開始の列品解説が進行中で、人の塊は展示室の奥の方に進んでいた。
ホントは解説を聞きたかったんだけど、入口付近の出品作がとても見やすい状態だったので、拝聴は諦めてひたすら見る事に専念した。
とは言っても、わたしは残念ながら古典文学をロクに読んだ事がない無教養な人間なので、展示されている絵を見ても、それが物語の中のどのシチュエーションを描いているのかすら、まともに読み解けなかった。
では何でこの展覧会を見に行ったのかというと、幕末の平安ヲタ冷泉為恭の絵が見たかったという、それだけの理由だった。
そんなシロウトな目線でこの展覧会を見ていたのだけど、展示テーマの区切り方を知ってハッとなった。
具体的にはこう分けられていた。

第1章 物語絵の想像力 ― 〈ことば〉の不確かさ
第2章 性愛と恋 ― 源氏絵を中心に
第3章 失恋と隠遁 ― ここではない場所へ
第4章 出世と名声 ― 成功と失敗をめぐって
第5章 荒ぶる心 ― 軍記物語と仇討
第6章 祈りのちから ― 神仏をもとめて

日本の古典物語で絵になるのは、だいたいこれらのジャンルに集約されるのだなというのが、この展示をザッと見るだけでも実感出来た事にちょっと驚いた。つまり、今まで自分はあまりにもその分け方に無頓着だったのだ。
細かく見れば、それぞれの描き方の表現方法が違う事も分かったんじゃないかと思うのだが、なんせ時間がなく駆け足で見てしまったので分からず。
具体的にどこでその視点に気づかされたのかというと、『隠遁』の所でだった。
それまでは艶やかな色彩の絵が展示されていたのに、ここに来るとモノトーンの世界に一変したからだ。
都落ち。世捨人。都会から離れた世界は、幾ら深緑の環境にあってもモノクロームなのか。
と、感じたのと同時に、『引きこもり』は日本人の伝統なのかと思った。
徒然草』や『方丈記』。これらはいわゆるエッセイなのでこの企画展のテーマにそぐわないのかもしれないけど、日本文学の本質はここにあるのかもなと。
とにかく、この第3章がいちばん印象に残った。

物語の読み解きから離れて見ていても、エンボス加工された金箔図屏風の華麗さにウットリしたり、漫画の原点のような絵にクスッと笑ったり、とても見所の多い展覧会だった。また似たテーマの企画展が開催されたら是非見に行こうと思っています。