この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

最近見に行った展覧会について。

先週の休日は、自分にしては珍しく、複数の展覧会に足を運びました。
各展覧会の印象を軽く記しておきます。

ぶよぶよ、ぼてぼて

ルーベンスはふくよかな女性がお好みだったようで、描かれている女性は皆肉付きがかなりよろしかったです。
キリストは筋肉質でがっしりだし、描かれる肉体の厚ぼったさにちょっと胸焼けが…。


ルーベンスが大規模な工房を構えていたというのは、この展覧会を通じて初めて知った。
写真がなかった時代は、こういう工房が繁栄してたんだな。
版画作品の展示が充実していたのにも驚かされた。
ルーベンスは宗教画、神話画、寓意画を得意とした人だったけど、それ以外の画題(肖像画、静物画、風景画、風俗画etc...)についても、自作を通じて、またはそれらのジャンルの専門家達とコラボレートして、後世の画家達に多大な影響を及ぼしていったようだ。
色んなジャンルの画題の共同制作も貪欲に行なっていたというのが、この画家の凄さかもしれない。
今回の展示で面白かったのは、それら專門画家達の作品だった。
特に目を引いたのはフランス・スネイデルスの動物画だったな。
牙の描き方がうまいんだよこの人。

圧倒的な個人芸術

ミュシャの時代になると、写真も既に登場しているし、印刷技術もルーベンスの時代よりも格段に進歩しているし、産業革命以降の社会の変化で、一つの作品に携わる人の手がどんどん減っていったのだけど、ミュシャの作品を見ていると、グラフィック作品でもあまりにもミュシャ以外の手の跡が見えないよな、と、ふと思った。
それだけミュシャの個性が際立っているという事なのか?
ミュシャが撮影した写真の中にはゴーギャンの姿もあったけど、彼とミュシャがコラボ作品を制作したという話も聞かないし。
ミュシャルーベンスと同様に、祖国を飛び出して外国で修行し、ミュシャの場合はパリで圧倒的な成功をおさめたわけだけど、その後チェコに戻った時に、地元の画家と積極的に交流した様子もない。
でも、後世への間接的な影響力は絶大なのだ。
わたしは、未だに世紀末に描かれた女性達の謎めいた含みのある表情に魅せられている。
で、それとは別に、スラブ叙事詩の凄まじさにも圧倒されてしまった。
現地に行って実物を見たくまでなって来た。


ミュシャ展の前にこの展覧会を見てきました。

地の底の世界では女性達が輝いていた。

サクベエとミュシャ…。この2つの展覧会をハシゴする人が果たしてどれぐらいいるのかなんて知ったこっちゃないんですが、会場がわりかし近いので、徒歩で移動して見てきました。


炭鉱の世界には馴染みがないまま、今までずっと生きてきた。だから、“暗い”、“汚い”、“危険”といったネガティブなイメージで捉えてしまうんだけど、作兵衛さんの絵からはじんわりとした明るい雰囲気と、自分の想像を超えたアナザーワールド、いわゆるファンタジックな世界が繰り出されていて、惹きつけられずにはいられない。


惹きつけられる画題はいっぱいあるのだけど、ここで取り上げたいのは女性の描き方だ。
掘削作業に従事する女性は上半身裸で、肉付きもいいけれど、ルーベンスの描く女性みたく、贅肉たっぷりではなくて、よく鍛えられた身体に描かれている。
表情は感情をあらわにしていないんだけど、そこはかとなくエロティックだ。でも、いやらしさは感じない。
石炭を振り分ける作業に携わる女性達は、みんな違う柄の着物姿で、顔には白粉が塗られ、口元には鮮やかな紅がさされている。
まるで、デパートのバーゲン会場で商品を選んでいる女性達みたいに、ぱあっと華やいで賑やかな雰囲気に描かれているのだ。
註釈によると、現場は両手を使って作業しないと怒られるとか、結構ハードな世界だったようだが。
でも、お喋りぐらいは許されてたんじゃないのかなぁ?歌ったりとか。


日曜日にももう一つ展覧会を見て来たのですが、それはエントリーを分けます。