『生誕100周年記念 中原淳一展』を見て。
血色の良くない唇をした少女
中原淳一の絵を知ったのは高校生の頃で、母親が買ってきた『日本の童画』という本によってだった。
そこに、この絵が掲載されていたのだが、ここに描かれている少女は、何故唇に紅をさしていないのだろう?と、ずっと気になっていた。
まさか唇の色だけ退色してしまったとか?いや、それは他の絵と見比べてみると考えにくいのだ。
中原淳一の描く女性は、みずみずしい色彩で、生き生きと描かれているものが多い。
何と、彼は、色をぼかしたりする時に絵の具を、彼自身の唾液でのばしていたのだそうだ。
そうする事によって、絵の中の女性達は、生命をふき込まれていったのだろう。
この少女は、紅葉を背景にしているから、色彩を合わせる為に、このような色使いにしたのかもしれない。
と、疑問に感じた当時はこんな風に推理していたのだが、そんな事は時間の経過と共にすっかり忘れていた。
今回見に行った回顧展でこの絵の原画にお目にかかり、今まで全く知らなかった、画面左下に書かれたコメントの存在を知る。
『日本の童画』に掲載されていた画像は、トリミングされたものだったのだ!
こんなコメントが、中原淳一自身の筆跡で書かれていた。
辻さんの病床を見舞う。
中原淳一絵 昭和三十六年七月
「血色の良くない少女画=病床にある少女」と、安易に結び付けるのは良くないが、そう連想せざるを得ない。
更に、昭和33年に描かれた絵に、3年後に日付を書き加えたというのは、何を意味しているのだろう?
どうもこの絵には、自分には想像も及ばない、ドラマティックなエピソードが潜んでいるように思えてならない。
しかし、実際この絵が『ジュニアそれいゆ』の表紙絵として印刷された時は、唇が紅く加工されていたのだ!
これは、展覧会を見に行くまで、全く気付かなかった。
手持ちの本の中からではこんな画像しか見つからず…。画像が汚くて申し訳ない。今回の展覧会図録は買わなかったのだ。
他にこんな唇の色が薄い少女画はないんだろうか?と思ってチラシを見たら、いた!
この絵も、ひとつ上の画像を見ると分かるのだが、印刷の際に、血色の良い少女に変化している。
ううう…、展覧会で見た時は気づかず…。迂闊だったー!
弱き者、異端のひとびとに寄せる強い眼差し
今回出品されていた、中原淳一が作った男性の人形達は、どれもが魅力的だった。
絵の中の二次元世界で描かれる目がデカい男性は、甘すぎクドすぎでアウトなのに、立体になると、同じく目デカでまつ毛もバッサバサなのに、全然気にならない。いや、むしろ魅力的な眼差しとしてこちらに迫ってくる。
それは背中の丸みや、通常の人間よりもかなり大きめに作られた手から、ダイレクトに哀愁が漂って来るからだ。
この、拭っても拭っても滲み出てくる、彼独特の心の闇みたいな世界は、いったい何なんだろう?
もしかしたら、上に挙げた病弱の少女を描いたのかもしれない絵にしても、太陽の影に隠れた儚い美を表現したかったのでは?
わたしは、そんな風に思わせる中原淳一の絵に、ずっと惹かれ続けているのだ。