この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

『生誕100周年記念 中原淳一展』を見て。

@日本橋三越本店

血色の良くない唇をした少女


http://instagr.am/p/Vl3w32kPu4/
『ジュニアそれいゆ』1958年11月号 表紙原画。



中原淳一の絵を知ったのは高校生の頃で、母親が買ってきた『日本の童画』という本によってだった。
そこに、この絵が掲載されていたのだが、ここに描かれている少女は、何故唇に紅をさしていないのだろう?と、ずっと気になっていた。
まさか唇の色だけ退色してしまったとか?いや、それは他の絵と見比べてみると考えにくいのだ。


中原淳一の描く女性は、みずみずしい色彩で、生き生きと描かれているものが多い。
何と、彼は、色をぼかしたりする時に絵の具を、彼自身の唾液でのばしていたのだそうだ。
そうする事によって、絵の中の女性達は、生命をふき込まれていったのだろう。


この少女は、紅葉を背景にしているから、色彩を合わせる為に、このような色使いにしたのかもしれない。
と、疑問に感じた当時はこんな風に推理していたのだが、そんな事は時間の経過と共にすっかり忘れていた。


今回見に行った回顧展でこの絵の原画にお目にかかり、今まで全く知らなかった、画面左下に書かれたコメントの存在を知る。
『日本の童画』に掲載されていた画像は、トリミングされたものだったのだ!
こんなコメントが、中原淳一自身の筆跡で書かれていた。

辻さんの病床を見舞う。

中原淳一絵 昭和三十六年七月


「血色の良くない少女画=病床にある少女」と、安易に結び付けるのは良くないが、そう連想せざるを得ない。


更に、昭和33年に描かれた絵に、3年後に日付を書き加えたというのは、何を意味しているのだろう?


どうもこの絵には、自分には想像も及ばない、ドラマティックなエピソードが潜んでいるように思えてならない。


しかし、実際この絵が『ジュニアそれいゆ』の表紙絵として印刷された時は、唇が紅く加工されていたのだ!
これは、展覧会を見に行くまで、全く気付かなかった。


http://instagr.am/p/Vx251VEPg6/
手持ちの本の中からではこんな画像しか見つからず…。画像が汚くて申し訳ない。今回の展覧会図録は買わなかったのだ。


他にこんな唇の色が薄い少女画はないんだろうか?と思ってチラシを見たら、いた!


http://instagr.am/p/Vx3ZZykPhY/
ジュニアそれいゆ 第28号 1959年 表紙原画


この絵も、ひとつ上の画像を見ると分かるのだが、印刷の際に、血色の良い少女に変化している。
ううう…、展覧会で見た時は気づかず…。迂闊だったー!


弱き者、異端のひとびとに寄せる強い眼差し


今回出品されていた、中原淳一が作った男性の人形達は、どれもが魅力的だった。
絵の中の二次元世界で描かれる目がデカい男性は、甘すぎクドすぎでアウトなのに、立体になると、同じく目デカでまつ毛もバッサバサなのに、全然気にならない。いや、むしろ魅力的な眼差しとしてこちらに迫ってくる。
それは背中の丸みや、通常の人間よりもかなり大きめに作られた手から、ダイレクトに哀愁が漂って来るからだ。
この、拭っても拭っても滲み出てくる、彼独特の心の闇みたいな世界は、いったい何なんだろう?
もしかしたら、上に挙げた病弱の少女を描いたのかもしれない絵にしても、太陽の影に隠れた儚い美を表現したかったのでは?


わたしは、そんな風に思わせる中原淳一の絵に、ずっと惹かれ続けているのだ。