この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

鹿島茂コレクション2 バルビエ✕ラブルール展

@練馬区立美術館


去年行なわれたグランヴィル展に続く鹿島茂コレクション第二弾は、ジョルジュ・バルビエと、ジャン=エミール・ラブルールの展覧会。
待ちに待った展覧会という事で、始まったらすぐ行こうと思っていたにも関わらず、気がつけば会期も残り僅か…。
でも、ご本人のギャラリートークを聞きながら会場を見て回るという、願ってもないチャンスに恵まれたので、結果的にはラッキーだった。


5月6日に行なわれていた講演会の模様がupされていた。

通しで見たいんだけど、なかなか……


鹿島氏は冒頭の挨拶で、“コレキュレーター”という、“コレクター”と“キュレーター”を合わせた造語を思いついたので、これからはこの肩書でいこうと思います。なんて事を言っていた。そう、この展覧会は、「俺様の俺様による俺様のための展覧会」なのだ。
で、俺様自身で会場内を解説して回ろうという…。しかしこれだけはそう何回も出来るものではないな。


展示室は大きく分けて4つあるのだが、最初の部屋にあるバルビエの作品解説にものすごく時間を取る。おいおい…、1時間の予定だと言ってたけど、こりゃ〜とても終わらんわ。
ここに展示されていたディアギレフのロシアバレエ団を描いた作品のところでは、解説に力が入る。
肉体の動きに重点を置いた表現が当時は斬新だった。写真技術もすでに発明されていたが、これは写真を超えた表現だと思った。
と同時に、この前三鷹市美術ギャラリーで見た「フェアリー・テイル展」に出品されていたアメリア・ジェイン・マレーの作品が頭に浮かんだりもしていた。
あれは、ふわりと浮いた反重力の世界だったよな。
あれが描かれたのが1810〜20年代だったのにも驚いた。
ほっそりとした妖精の姿は、世紀末〜アールデコの時代を先取りしていたからだ。
ファンタジーの世界が現実化された時代だったのか。1910年代は。


この当時の印刷技術は、それにたずさわる職人自身の腕に委ねられていたから、その後、技術が伝授されることはなく、一世一代で尻窄みになっていったようだ。
しかし、本は直に手でめくってみたかった。そうしないと、本当の素晴らしさはわからないような気がする。


ラブルールはこの展覧会で初めて知った。バルビエの展示が終わり、ラブルールの展示室に入った時は、今までの絢爛さが綺麗さっぱりとなくなり、拍子抜けさえしたのだが、その代わり、見れば見るほど良さがじわじわと伝わってくるという、かなりやばい魅力を持った作品たちだった。
モダンな人物像とか、海洋生物とか、今の目で見ても新鮮なのだ。
シャープな線で一見あっさりと描いているようなんだけど、刷りの過程がわかる展示を見る限り、根気よく緻密に作業を繰り返して刷り上げたのだなというのがわかった。


ラブルールの「アスパラガスとラディッシュ」という作品のところで、鹿島氏はプルーストの「失われた時を求めて」の中に、アスパラガスの描写が出てくるという事を話していた。まずい、未だに読んでないやこの小説…。
その代わりにというわけではないが、不意に、ああ、あの漫画のアスパラガスは、プルーストの引用だったんだ!と、今更ながら気づいた。
それは、猫十字社の「宝石の女」という作品で、ちょうどバルビエやラブルールが活躍した時代のことを描いていた。
これはリアルタイムで読んでいるんだけど、当時、“猫十字社、初のシリアス!”のような煽り文句まで入っていたんじゃなかったっけ?
緻密な線で描写されていて、読んだ時はもの凄いショックを受けた。


現在はこの単行本に収録されているようです。

泡と兎と首飾り―猫十字社傑作集 (BBMF BOOKS)

泡と兎と首飾り―猫十字社傑作集 (BBMF BOOKS)


一点物のファインアートよりも、複数刷られる印刷本の方が、コレクションはしやすそうなんだけど、一歩そこに足を踏み入れると、市場には出回らない、凄まじき豪華本の存在を知ることになるわけで、コレクター道は果てしないのだなぁ…というのが、鹿島氏のお話を聞いていてよくわかった。
1回目とあわせてこれだけのコレクションを見る事が出来て、すげ〜〜っ!!と驚愕するしかなかったのだけど、蒐集が続く限り、第三弾、第四弾と続いていくんだろうなぁ。。。
結局、ギャラリートークは2時間超でした。


ギャラリートークが終わって最後に、この企画をどこで知ったのか?という質問を、鹿島氏は逆に我々に投げかけた。
どうやらTwitter効果の威力を知りたかったらしい。わたしもそれで知ったので、Twitterで知った人のところで手を挙げた。
が、お客さんの中に、「(偶然ではなく)運命です!」と仰った方がいた。
なんでも、東京に来る飛行機の中で読んだ機内誌に、この展覧会のことが紹介されていて、是非見に行きたいと思い、到着したら真っ先に美術館に問い合わせたところ、ギャラリートークが行なわれる事を教えてくれて、それで知ったとのこと。
やっぱりね、今となってはこういうアナログ的な情報収集の方が、身体にズシンとした重みを伴って、この体験がインプットされると思うのだ。
会場にいた人達も、この話を聞いて拍手喝采でしたから。ちょっとやられたな、と、思った。