この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

Morrisseyについて。追記?

モリシーのライヴを見て思い出していたのは、このお方の事だった。


マレーネ・ディートリッヒが初来日を果たしたのは、1970年の大阪万博の時。
万博のクロージングを飾る、芸能ポピュラー部門の大トリとして、ディートリッヒに白羽の矢を立てたのであった。
来日が決まった当初は、そんな過去の銀幕スタアを見に来る人が一体どれぐらいいるんだ?というのが、大方の反応だったらしい。
しかし、蓋を開けてみればチケットは完売。ライヴは熱狂的に盛り上がり、他の国では行わなかったアンコールにまで応えたという。
更に、この国ではかつて見られる事のなかったスタンディングオベイションまで巻き起こり、総立ちになった観客がステージにまで押し寄せ、次々とマレーネに握手を求めた。


この辺のくだりは、この本を参考にしました。

愛しのマレーネ・ディートリッヒ―Marlene Dietrich forever…

愛しのマレーネ・ディートリッヒ―Marlene Dietrich forever…


その時の光景を、幾つかの写真と照らし合わせて想像した時、なんだか今回のモリシーの姿とダブったのだ。


モリシーの恵比寿でのライヴ直後、一緒にライヴを見ていて、2年ぶりぐらいに会った友達とゆっくり話した時に出てきた話題は、震災の日にどう過ごしたかという事だった。そう、あのライヴの時は、震災以来久しぶりに、「今自分は生きている!」と、強く実感していた。友達も、きっと同じ風に考えていたんじゃないかと思う。


ディートリッヒの本の著者は、日本屈指のディートリッヒファンで、生前の彼女からは20通以上ものファンレターの返事を受け取ったという。
そして、万博公演後に行なわれたファンとの交流の場で、彼女から頂いた手紙を本人に見せたところ、ディートリッヒは、「この人、古くからの友達よ!」と言って、両頬に熱いキスのプレゼントまで贈ったという。ここがこの本の最大のクライマックス。ここ、すごく羨ましかった。


モリシーのライヴでは何人ものファンが、本人に受け取って貰うための手紙を握りしめながらモリシーの歌を聴く。
手紙なんて、ネットが発達した現在では時代遅れの通信手段に見えるかもしれないが、ここではいまだに最も有効なコミュニケーションツールとして機能している。


モリシーの存在は、未来の音楽評論家あたりがポップミュージックの歴史を編纂する際には、デジタル時代のポップスタアの時系列に強引にねじ込むだろうが、立ち位置としては、20世紀中に絶滅してしまった“聖なる怪物”、例えば、自身の死によってジャン・コクトーの命までも奪い去ったエディット・ピアフのような神話めいた存在と並べたっておかしくないと思う。


日本ツアーラストの夜、モリシーの頭上には“聖なる怪物”が乗っかっていたように思えた。あのアー写みたいな。(苦笑)


と、幸運にも同時代を生きているファンの目線から感じた事を記してみた。