この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

ウメサオタダオ展

@国立民族学博物館 特別展示館


サブタイトルに「知的先覚者の軌跡」とあるように、梅棹忠夫(1920-2010)が残した言葉を提示し、かれが実際に使っていたメモ等を展示することによって、知的体験を実感するような展示空間になっていた。のかな?
会期終了間際にあわただしく見に行ったせいか、見ている最中は頭の中がすっかりカオス状態になる。
会場に入ったら、ETV特集効果なのか、大盛況だった。小長谷氏のギャラリートークも始まっていたし。
すでに人だかりがすごくて近づけない状態だったので、トークはながら聞きに徹するようにして、とにかく見やすいエリアから、順番もお構いなしに見るようにした。


印象に残ったのは、1階部分にあった展示用の設置棚が、木材や紙や透明ビニールといった、割と手に入りやすそうな素材で規格統一されていたという事。
不思議な事にそれは、今回の被災地の避難所に設けられた、紙製の仕切りを思い起こさせるものだった。
この展覧会は、あの大震災の1日前から開催された。
なんだったんだろう、この予感めいた仕掛けは。
おそらくこれは、梅棹氏の探検者的イメージをふくらませたものではないかと想像したのだが。
常に合理的かつ身軽な装備で移動していたというようなイメージか。
しかし今回のこの展覧会は、見る側であるわたしの方が遠路はるばる移動してきて、見るに至ったわけだ。
こういう、まるで“仮設”みたいに見える装置であれば、どんな場所でも気軽に、そして、巡回ではなく複数個所で同時開催する事も可能なのではないか?なんて思ったりもした。
梅棹氏の使っていたノートや“こざね”なんかも、手に取る事が出来たのは全部コピーしてパウチ加工されたものだったし。
これなら、複数生産も可能ではないか。
ただし、アクリル板の代わりに透明ビニールで覆うのは、中の展示物が波打って見えるので、ちょっといただけなかった。


梅棹忠夫については、「知的生産の技術」ぐらいしか読んだ事がなかったので、情報整理のヒントを、本だけではなくて、実物を見る事によって得られるのかな〜という、よく分からない期待を込めて見に行ったのですが、見に行った後も、わたしの部屋は相変わらず整理出来ていません。更に資料が増えてやばいです。でも、いろいろと、思考のヒントを与えてくれたような気がします。とりあえず、もうちょっとまめにメモをとるようにします。今までは“メモとらない魔”だったので。


メモとらない派なので、会場に設置されていた京大カードにメッセージを残すという行為は、気おくれがして出来なかった。
あれをスキャンしてデータベースする試みは面白いなと思ったけど、2階へ通じる階段脇の壁にそれらがべたべたと貼られているのを一気に見る方がインパクトあった。ツイッターの立体版ってこれなのかもと思った。