この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

地震のこと

記憶が薄れないうちに書き留めておく事にした。


3月11日の地震発生時は、築40年以上経つおんぼろなペンシルビルの7Fにいたのでかなり揺れました。正直、生命の危険も感じました。
暫くすると会社の目の前にある、普段は閑散とした大通りは、信じられない数の人が、早々と家に向かって整然と歩きだしていた。
帰宅難民の一員に加わった自分は、最初は会社の車で、自宅に歩ける距離まで送ってもらう手筈になった。
が、渋滞にはまって車は一向に動かない。
仕方がないので、御茶ノ水に差し掛かった辺りで降りて、同乗していた女性社員と共に、新宿へ向けて歩き出す。
車を降りた場所のすぐそばに、アウトレットのスポーツ用品店らしきお店があったので、歩きにくそうなブーツを履いていたその女性社員は、そこでスニーカーを買う。
お店には、スニーカーを買い求める客がわらわら押し寄せていて、凄い状況に。
もうお店を閉める寸前だったようで、シャッターが半分おりていた。ぎりぎりセーフ。
わたしはというと、たまたまその日はスニーカーを履いていた。
それから、耳まですっぽりと覆われてる手編みのニット帽に手袋。マフラーは市販のやつだったけど、こうなるのを予感してたのか?と思うぐらい、夜歩きに適した服装だった。おかげであんまり疲れずに歩くことが出来た。


途中、四谷あたりでトイレを貸して下さったオフィスがあり、ありがたく使わせていただきました。これは本当にありがたかった!
夢中だったので正確な場所が思い出せないのですが、どうもありがとうございました!


歩いているうちにお腹が空いてきたので、飲食店系のお店がやたら目についたのだけど、普段なら夜遅くまで営業しているようなチェーン店がどんどん店じまいをはじめていてちょっと焦る。コンビニの棚は本当に空っぽ。あと歩いている時にやたら目についたのはキンコーズの看板。なんでやねん?
最終的に落ち着いたのは個人経営の中華料理店。そこは流れ着いたお客さんでごった返していた。高齢の女性が接客をたった一人でこなしていたから、この突然の大繁盛ぶりにすっかりパニック。麺類は全て終了していて、テーブルには食器が氾濫したままだった。それでも何とか無事に夕飯にありついた。
ここも、わたし達が食べ終わった頃にオーダーストップ。結構ラッキーだったかも。


新宿に到着する頃には大江戸線や西武線が復旧していたので、大江戸線西武池袋線のルートで帰ろうとするが、大江戸線は入場制限がかかり、ホームに入れず。
西武新宿線で帰ろうかと思ったけど、丸ノ内線が動き出したので、それで池袋までぐるっとまわり、西武池袋線に乗り継ぎ、無事に帰宅。
家に着いた時にはam1:30近くになっていた。会社を出たのがpm6:00前だから、7時間かかったのか…。
まあ、家まで徒歩という最悪のパターンは免れたし、ちゃんと家のお布団で寝れたから、最終的には恵まれていたと思います。


週が明けたら今度は計画停電の影響で合計4駅分歩いたし、電車が動いても来る電車来る電車超満員で、7台目にしてようやっと池袋に辿り着いたりとか、帰りも入場規制でなかなか電車に乗れなかったりとか、少し前とは全く違う日々が続いております。全く違うと言えば、「地震」という共通体験によって、今までは疎遠だった会社の人たちとの会話が増えました。これには正直驚いています。災害は恐ろしいものだけど、人間関係の風穴を容易に開ける力も併せ持っているのだなと思いました。