この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

セラフィーヌの庭

@岩波ホール


セラフィーヌ・ルイ(1864-1942)は、アンリ・ルソーらと共に、画商ヴィルヘルム・ウーデによって発見され、いわゆる素朴派というジャンルの確立に大きく貢献した存在。しかも1910年代当時、女性の画家はまだまだ少数派であった。


以前ここでもたまに素朴派の絵画を取り上げていたから、その時は素朴派関係の画集にも目を通していたのだけど、何故かこのジャンルで固められると、彼女の強烈な作品ですら“この一派”以上のインパクトを得られないのだ。なので、先日世田谷美術館でティオリエ展を見に行った時に、同時開催の所蔵作品展でせっかく原画を見ていたのに、あんまり印象に残っていなかった。


実は、セラフィーヌの存在が気になりはじめたのは、坂崎乙郎によるセラフィーヌ論を読んだ、つい最近の事なのだ。坂崎氏は「狂女セラフィーヌ」という見出しで、不鮮明な肖像写真と共に彼女を紹介していた。40年以上も前の、こんな露骨な表現をした論文の方に惹かれてしまう自分がつくづくイヤになったものだが、元々下世話な人間なのだからしょうがない。


とりあえず、映画の公開中にセラフィーヌの存在に気付けて良かった。もうそれだけで儲け物だと思ったので、映画については見る前から満足していた。セラフィーヌ役のヨランド・モローが冒頭で登場した時には、わたしが勝手に抱いていたイメージほぼそのままでビックリした。ひとつ違っていたといえば、もっと小柄な女性を想像していたのだが…、まあ、いいや。


第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけては、激動の時代だけあって、この時代のアートシーンももの凄い地殻変動を起こしていて面白いのだ。絵画の価値が、画商によって見極められるようになった時代。ウーデは映画の中で、「収集品とは、我々の自己表現の手段なのだ。」と言っていた。
交通手段が高度化され、人はより遠くにある未知の美しいものを求めてどんどん旅をし、狩をするようにそれらをごっそり収集して持ち帰る。狩の対象は自然物を描いた作品に飽き足らず、精神世界の風景にも貪欲に踏み込んでいく。それらの作品の価値は金銭に還元されるようになり、セラフィーヌもこの価値観にすっぽりとのみ込まれ、心のバランスを失っていく。


この時代は既に絵の具も小売されていたようだから、彼女みたいな庶民でも絵を描ける環境が整いはじめていたのか。そういう意味では幸福な時代にいたのかもしれないなと思った。あんな風に自分の世界に没頭できたセラフィーヌが羨ましくなった。