この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多 @渋谷区立松濤美術館

村山槐多は22歳という若さで夭折してしまったが、作品は東京国立近代美術館に常設展示されている事が多いので、割と見る機会には恵まれている人だと思う。それが近代日本美術の中で重要な位置にいるという証なのでしょう。しかし今回、これだけの作品を一気に見るのは初めての事でした。


村山槐多について紹介される時は、彼の奇人変人振りがクローズアップされがちだし、わたしもそこから知ったので、以前彼の作品を目にした時は、そういう色眼鏡越しで見てしまっていた。今回はちゃんとニュートラルに見ようとしたのだが…、やはり、「尿する裸僧」と初めて対面した時は、その、描かれている画題ではなく、色彩でもなく、尋常成らざる絵の具の質感にやられてしまった。槐多自身の体液やら情念やらありとあらゆるものが塗り込まれているんじゃないかと思わせるものだった。もしもこの絵に鼻を近付けてくんくん嗅いだら、どんな匂いがするのだろう?
他の作品も、見ていると段々身体の内側が熱くなって来る。誰でも若い頃に通過した、あの、思い出すとこっ恥ずかしくなるような情熱。そんなマグマの如きパワーが、余す所なく作品に投影されている。これだけのものを吐き出して、肉体をボロボロにし、若い姿のまま逝ってしまった。デスマスクの表情からは、やり尽くしたという安堵感すら漂わせている。ちくしょーっ!
と、身体の奥が煮えたぎりそうになるのを、作品保護のために薄暗くされていた室内の落ち着いた雰囲気が、ヒートダウンしてくれた。見に行った日は天気も悪かったし。


この日は、残念ながらタイミングが悪く拝聴は出来なかったけど、窪島誠一郎氏の講演会が開催されていたようです。ちょうど見終わって図録を買おうと下に降りて行ったら、窪島氏のサイン会が始まっていました。わたしもサインを待つ列の中に滑り込み、ちゃっかり頂いて参りました。
こういう機会は滅多にないのだから、何か一言二言言葉を交わしてみたかったのですが、あまりに唐突な遭遇だったので、何も言い出せませんでした。
話しかけて来たのは窪島氏の方でした。「今日は何日でしたっけ?」と質問される。「5日です。」とわたしが答えると、「あ、ゴメン俺、今まで間違って書いてたわ。*1
ヲイ!じゃあわたしの前までは何日と書いていたんだ?ていうか、何でわたしの番になってそんな事を訊く?でもまあ、これで修正されて、正確な日付が図録にしっかりと記されたので良しとしよう。
図録は、かなり気合いの入った構成で素晴らしいです。署名が貰えなくたって買いますよこれは。


展覧会を見ながらふと、槐多と同じく大正期に絵と詩を残し、肺結核のため24歳の若さで没してしまった富永太郎の展覧会の事を思い出した。今から21年前に、同じく松濤美術館で開催されていた。
残された作品数は少なく、記憶違いでなければ、2階部分のみに展示されていたのではなかったか。
槐多の方は、会期中に展示替えまで行なわれるのだ。いくら小規模な美術館とはいえ、これはやはり多作であった事を証明していると思う。
2人には全く接点はなかったし、受ける印象もかなり違うのだけれども、富永太郎展も、とても心に残る展覧会だった。あ、それでも、自画像は2人とも多く残していたか。
家に帰って富永太郎展の図録を読み返してみたら、この展覧会が開催されたのも、窪島誠一郎氏の尽力によるものであった。そりゃそうか。

*1:こんな言葉使いじゃなかったと思うんだけど、正確な言い回しが思い出せない。窪島さんゴメンなさい!