この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

澁澤龍彦 日本芸術論集成

澁澤龍彦 日本芸術論集成 (河出文庫)
没後20年以上が経過しているのに、いまだに続々と新刊本が出るお方。それが澁澤龍彦。さすが河出文庫不滅の看板スタア。死後に刊行された著作本の数は、生前のそれを既に上回っているのではないか?よくこれだけ手を変え品を変え、色んなテーマの本が生み出されるものだ。「re-issue re-package〜」と皮肉たっぷりに歌ったのはスミス時代のモリシーだったっけ。なんて話はどうでもいい。


この文庫本は、文芸、映画以外の、日本人による芸術作品について澁澤氏が論じたのをまとめたもの。いわばコンパクトサイズで整えられたスクラップブックか。冷静な論調で書かれた文章から、読者を煽る為に書かれたもの、自身幼少時の思い出話、果ては軽いコメントのようなものまで。以前他の著作本等で読んでいた文章が次々と出て来るのだが、意外とバラエティーに富んでいて飽きさせない。
何、図版が無いから分かりにくいって?すいません、他の澁澤本をあたって下さい。


澁澤氏の主義主張は終始一貫していた。アンチ抽象主義。アンチモダニズム。これだけ芸術に関するお題の文章をきめ細かく拾われると、繰り返しこの論調に付き合わされる事になる。今や、現代アートと言えば具象が主流という事になっているし、澁澤さんが当時親しく交流していた気鋭の芸術家達は皆、現在では「大物」だ。かつては異端だった若冲や簫白も、辻惟雄氏の功績により、今ではすっかりメジャーに。いつの間にやら価値観がひっくり返ってしまった。では、当時澁澤さんが半ばムキになって拒絶していた日本のアートシーンってどんな感じだったんだろう?
多分、澁澤さんが推していた芸術作品達は、当時の美術愛好家達にも十分受け入れられていたのだ。ただ、澁澤さん程無防備に褒め讃える事の出来る勇気と言語感覚を持ち合わせていなかった。それだけの事のような気がする。
でも、1960年代の終わりごろになると、良いものは良いんだ!と、声高に主張する人達が現れた。

  • 「奇想の系譜」

奇想の系譜 (ちくま学芸文庫)
先に挙げた辻惟雄の代表作。出版されたのは1970年だけど、美術手帖に連載していたのは1968年。この本を読んでいると、サイケデリックな視点で、江戸時代の絵画を捉えているように感じる。

アール・ヌーボーの世界―モダン・アートの源泉 (中公文庫)
海野弘のデヴュー作。1968年出版。この本を最初に読んだ時に、当時アール・ヌーヴォーが殆ど忘れ去られていた美術様式であったという事を知り、強い衝撃を受けた。なに〜ぃ!?じゃあ当時のグレイトフル・デッド辺りに代表される、いかにもドラッグでヘロヘロになった頭で考案されたような、あのうねうねとしたサイケな線によるポスターデザインの向こうにあるアール・ヌーヴォーという様式が、当時の人達には見えていなかったというのか?あとがきによると、発売当時はこの本、全く売れなかったらしい。


この2冊はどちらも熱を帯びた筆致で書かれていて、読んでいると熱いものがこみ上げてくるのだが、裏返せばそれだけあの時代は、背後に保守的な、そしてこれだけのものが知れ渡っていないという不毛な空気が横たわっていた状況が伺えるのだ。