この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

バロック・ファッション

コクトーの映画「美女と野獣」を見ていて目を惹くのが、野獣の館内の装飾と、役者達の衣装である。

特に野獣の衣装たるや、衣紋掛けを背中にブッ刺したまま身にまとっているかの如き凄い肩幅。そりゃあ「動物」ですから、人間離れしているのは当然なんでしょうが*1。しかし、他の衣装デザインも全体的にずるずるモッサリ感がある。コクトーフェルメールのイメージを取り入れたと撮影日記に書いているのだが、では何故こういうコスチュームに魅せられていたんだろう?

ちなみに、この映画の美術・衣装担当はクリスチャン・ベラール。あの、人間燭台のアイデアは彼によるもの。

「リー・ミラー - 自分を愛したヴィーナス」(asin:4891942258)という本によると、リーは、従軍記者として占領下解放直後のパリに足を踏み入れた時に、群集の中にいる若い女性達のファッションに注目している。彼女達は戦争中とは思えないような、ゆったりとした優雅なファッションに身を包んでいた。3mしか使えない制約のスカート生地に15mを用し、贅沢をもってドイツに抵抗する。ファッションが反骨の精神を象徴していたのだ。

この映画の美術に関しては、海野弘の「映画、20世紀のアリス」(asin:484599089X)という本によれば、コクトーはこの時期バロックに傾倒していたのではないかという指摘がある。海野氏によると、バロックの本格的な再評価はこの時期から始まったという。2度の大きな戦争がバロックの「発見」に繋がったとも言える。

この、過剰なまでのデコラティヴ、ずるずる、モタモタ感がこの時代の「反逆」の精神だったのかもなーと、映画を見ていて何となく思った。過剰さはトーンダウンしているかもしれないが、今の時代だって反骨精神旺盛な学生の制服はずるずるだ。


何故にナンシー・シナトラ??でも妙に合っている。曲は勿論モリシーのカヴァー。

*1:本当は歌舞伎「鏡獅子」の衣装からヒントを得ている。