ジャン・コクトーのこと。(その2)
別に続けなくてもいいんだけど…。まあいいや。だらだらと書く。
コクトーに関しては長年無関心を装っていたので、今になって初めて知る事が多いです。
コクトーの撮った写真
一九二九年になつて、上から撮つたり、下から撮つたり、逆に撮つたりした寫眞を発見して芸術家や雑誌がよろこんでゐる。それは一九一四年に僕等が面白いと思つてゐたものなのだ。
「阿片」より。(堀口大學訳)
己自身が山のように肖像画やポートレートの被写体になっているのだが、コクトーが撮った写真というのも残されていて、このように一冊の本にまとめられたりもしている。この本は未見だが、ネット上でもこの中の写真の何枚かは見る事が出来る。それを見る限りでは、和やかで味のある写真を撮っていたんだなと思った。
彼にとっては1910年代が一番写真モードだったのか?
虚弱体質ジャン・コクトー
見た目からしてひ弱そうなのだが、日記等を読んでいると次から次へと体の不調を訴える記述が出て来てビックリ。ちょっとでも寒くなると鼻水が止まらないだの悪寒がするだの、肺炎で40度も熱が出て寝込んだだの、そうでなくても腰痛に悩まされるわ、占領下なのに食餌療法をしなければならなかったり。って、これはかなり大変だったんじゃないか?食料は配給制だっただろうし(でも、周りの人達からの差し入れがちゃんと得られるのだ!)。更には左足の小指の骨を折ったりもしている(痛っ!!)。更に更に、街角で右翼に狙われて暴行を受け、失明寸前の危機にあったりもしている。(これは虚弱体質のせいじゃないな。時代のせい。)
占領下日記の直後に書かれた「美女と野獣 ある映画の日記」は、最初の頃は文字通り撮影日記として進行するのだが、段々闘病日記へと変貌を遂げる。こっちはコクトーだけでなく、周りのスタッフも次々と怪我に悩まされたりして、苦痛を共有するかの如く凄まじい。でも撮影の雰囲気は最高に温かい。
占領下時代のコクトーがいかにやせ細っていたかは、久々にコクトーと再会したリー・ミラーが、会うなり彼を持ち上げてしまった(笑)、というエピソードからも伺える。
とりあえず、でも、74歳まで生きたんだから、阿片等で身体を痛めつけた割には、天から授かった寿命の、ある程度限界までは使い切る事が出来たんじゃないかな。コクトーの養子になったエドゥアール・デルミなんて見るからに頑丈そうだったのに、癌のためコクトーよりも若い年齢で亡くなっている。(とは言っても70歳にはなっていたが。)