この世はレースのようにやわらかい

音楽ネタから始まったのですが、最近は美術、はたまた手芸等、特に制限は設けず細々と続けています。

北村氏のこと

北村昌士氏死去の報が公にされてから1ヶ月ほどが経過しました。
ネット上にも数多くの追悼文が寄せられているので、それを読みながら過ぎ去った80年代を自分の中で回想してお仕舞い。って事にしておくつもりだったのですが、やっぱり軽く書いておく事にしました。

実は今からちょうど20年前、私はフールズメイトの編集部で、短期間でしたがお手伝いをしておりました。当時北村さんは編集の仕事から退いてはいたんですが、表紙のレイアウトだけは手がけておりました*1。表紙といえば雑誌の顔ですから、この当時はまだ雑誌に北村色が残っていたといえるでしょう。

というわけで、編集室内で北村さんが版下の割付等の作業を行っている光景は幾度となく目にしました。雑誌以外でも、トランス関連のフライヤー作成もここで行っていました*2。北村さんはミュージシャンとしての顔、難解な文章を書く文筆家としての顔、編集者としての顔、そしてエディトリアル・デザイナーとしての顔も持っていました。勿論デザイナーのプロではなかったです。当時の紙面を見れば分かるとおり、かなり稚拙なものでしたし。でも、あの紙面の雰囲気こそ、アンチ・プロフェッショナリズム、DIY精神のたまものだったと思うのです。私は北村さんの色彩感覚が好きでした。特に版型が小さくなった頃の表紙は、えいやっ!という感じの勢いだけで、ムチャクチャな色指定をしてたように見えるのですが、印刷が上がってみると不思議とシックリ馴染んでいて本当に不思議でした。あんなセンスを持った人はなかなかいないと思います。まだいなくなるには早すぎた。合掌。

*1:"korpus crypte"表記のある号は北村氏の手によるもの

*2:画像のフライヤーは当時編集室内で拾ったもの。多分。自信なし。